プロシュートの死体を見下ろしながらメローネは思う。
すべては書き終えられた物語にすぎないんだと。
間際に迫った死という名の暗闇を感じながら、メローネが思い出したのは輪切りになったソルベがリビングに並べられた時のことだ。なにか崇高な芸術品か、骨董品のように、額縁に飾られた死体は指のひとかけらまできちんと揃ってそこにあった。世界一美しい死体で、世界一醜い芸術だった。
すべては完結した物語なのだ。何度読み返しても結末はおなじ。ソルベとジェラートの死は、どう考えたって序章にすぎない。この筋書きはまちがいなくバッドエンドを導く。物語の最後のページはこうだ、こうしてかわいそうな暗殺者たちはひとり残らず死んでしまいました。おしまい。
ページをめくれば、陰惨な暗殺者にふさわしいみじめなラストシーンが、ひとりひとりに用意されている。そして結末はみんな同じ。
俺たちはボスに勝てない。メローネはそう思っていた。だが口にはしなかった。本当はメローネだって、ボスから麻薬ルートも金も何もかもを奪い取ってソルベとジェラートの復讐をして、そうして勝ち誇った顔で笑いたかった。でもいつだって物語は、メローネの思い通りになんかなりはしないんだと、わかっていた。
「つづりがわかるか、メローネ」
リゾットに紙とペンを差し出されて、メローネは磨いていた爪から目を上げた。なんのことだと少し首を傾げる。
「以前にローマで行ったレストランだ。深い緑の看板の」
「カルボナーラとサルティンボッカとティラミスを食べた?」
「そうだ」
受け取った紙に記憶のままペンを走らせる。書き終えてそれをリゾットに返しながら、わざとやらしく笑う。
「女でも連れていくのか?」
「そうだといいんだがな」
リゾットはメローネの書いたメモを手にテーブルを離れ、ホルマジオに声をかけた。わかってる、どうせ仕事だ。わかりきったことだ。
「てめーはそうゆうつまんねぇことをよく覚えてんな」
キーホルダー型の小さなゲーム機に没頭しているギアッチョが、ゲーム画面から目を離さないまま呟く。メローネが半身を乗り出して画面を見ようとすると、ギアッチョはやめろテメーうっとおしいと身をよじって避ける。おもしろくない。
「これでも記憶力はいいぜ。おまえがパリから戻る時チケットをなくして乗りそこねたフライトナンバーも覚えてる」
「ケッ!つまんねえことに脳みそ使ってんじゃねークソッ」
メローネは磨く途中の自分の爪を見下ろして声をたてず笑った。記憶力がいいということは、忘れたいことも多いということだ。記憶の底に沈めた物語たちは、ふとした拍子にページを開き、メローネに過去という現実を突きつける。過去はいつでも教えてくれる。すべては決まっていたことだ、おまえは物語を変えられない、その力も方法もない。
「運命論か?」
食後のエスプレッソを傾けながら、プロシュートは足をぞんざいに投げ出すように組んでいる。任務中ではなくプライベートだったのでメローネは軽装だったが、こんな時でもプロシュートは細身のスーツを適度に着崩して身をつつむ。平凡なカフェテリアが、まるで映画のワンシーンだ。
「運命論?原因が決まってるなら、結果も決まってる、ってやつ?」
「人を撃てば死ぬ。鍵盤をたたけば音が鳴る」
「そりゃあそうだ…決まってることだろ?」
「ミの音の鍵盤をたたいて、ソが出ることだってあるだろ。調律師がマヌケでそれを雇ったピアノの持ち主もマヌケなら」
「それなら最初から、ミの鍵盤をたたいたらソが鳴る、と決まってたのさ」
あんたはそうゆうの信じないか、と視線を投げると、プロシュートは頬杖をついてメローネを見返し、ニ、三まばたきをした。どこか眠たげだ。
「未来が決まってるかどうかとか、考えたことねえ」
「そうか。だってあんたは、やると思ったことは全部実際にやってきたし、やると思うまえに手足がでてるんだもんな」
「ギアッチョの野郎といっしょにすんなよ」
「してないよ。だってあいつは未来を思い浮かべてから行動するからね。俺といっしょさ」
「それもあいつは嫌がるだろ」
とうとうプロシュートは大きなあくびをもらした。睫毛を重たげに震わせている。メローネにとってそれは、よく見慣れた彼の仕草だったが、いつかそのまぶたは永遠に開かなくなるし、あくびをもらすこともなくなる。それをメローネは知っていた。
「ふあぁ…」
「おい、だらしねーあくびすんじゃねえ」
「あんたのがうつったんだよ」
石畳の道路の向こうから、ペッシが走ってくるのが見える。南国系の植物みたいな頭をひょこひょこ揺らして、プロシュートの弟分は買い出しの袋を両手にさげ必死だ。
メローネの視線に気付いて、プロシュートが振り向く。そうして片手を軽く挙げると、ペッシがうれしそうに笑って、走り寄ってくる。
決まっていた物事。完結したストーリー。ペッシがプロシュートに導かれていたように、プロシュートもまた、どこかの線路上を走る列車にすぎなかった。出発の予定時刻をすこし過ぎたり、そういったアクシデントはあるけれど、いつだって、到着する駅は同じ。バッドエンドの筋書き。
「おまえ、何をたくらんでる?」
「なに?」
「むずかしいことを言って、俺をだまくらかそうってハラか?」
イルーゾォがずいぶん的外れなことを言うのがおもしろくて笑うと、やっぱりおまえは許可しない!と怒りだしたので余計に笑ってしまった。メローネはこの何もかもが反転した鏡の世界を気に入っている。追い出されるのはいやだ。
「世界は完結してるって話だよ。簡単だろ?」
「やっぱりむずかしいじゃあないかよ…」
「おまえは頭がいいんだな、イルーゾォ。だからむずかしく思うんだ」
イルーゾォは、さっぱりわけが分からないという顔で怪訝そうにメローネを見る。まぁ、別に今にはじまったことじゃなく、イルーゾォがメローネを見る時はだいたいそういった表情だ。鏡の世界でも、左右逆でも、変わらない事実。
「なんだかわからねーけど、俺は仕事だから行くぜ」
「仕事?どこへ?」
「ポンペイ」
物語はここでおしまい。猛烈な痛みを覚えながらも、メローネはたくさんの記憶を思い出せた。ホルマジオが拾ってきた野良猫、プロシュートがペッシを弟分と認めた日、罰ゲームで赤く染められたイルーゾォの髪、一生で一度あるかないかのリゾットの爆笑顔、ギアッチョが俺が第一発見者だと言い張った冬空の星。
すべては完結した物語。何度読み返しても、結末は同じ。みじめで不幸な死。これでメローネの物語はおしまい。