リゾットは黒が好きだ。とくにグランドピアノや高級車なんかの光沢のある黒。硬質で、それでいて絹のようななめらかさ。セクシーだと思う。
それはそうとして、リゾットは今、とてつもなく眠かった。あまり普段から睡眠時間は多くないが、それにしたってここ何日かの徹夜続きは効いた。これが仕事のせいならまだ言い訳のしようも愚痴の吐きようもあるが、趣味にいそしんだ結果なので誰にも聞いてもらえそうにない。
「それで結局ホルマジオの奴のデートの護衛をさせられちまったってわけだ。とんだ残業だったぜ。ペッシの買ってきたフレッシュバーガーがなけりゃグレイトフルデッドが暴走してたな」
「ペッシがいてくれてなによりだ」
「どうした?」
「なにがだ?」
「まるで眠そうだが」
リゾットは半分落ちかけていたまぶたを強引にこじ開けて、斜め前でローテーブルに腰かけているプロシュートを見上げた。それからソファに沈ませた体をもっと沈ませる勢いで、息を吐く。
「ああ、お察しのとおり眠い。眠くて死にそうだ」
「のんきな死因だな」
リゾットが眠気と戦ってることを察知しながら、こんな夜中におしゃべりを続けるプロシュートも悪人だが、ひととの会話中に眠気を一切隠さないリゾットもなかなか悪人だ。
「あんたがそんな眠そうにしてるのもめずらしいから思わず観察したくなった。悪かったな。ホットワインでも飲んで寝ろよ」
ポケットに手を突っ込んだまま腰をあげたプロシュートがそのまま颯爽と去っていこうとするものだから、リゾットは思わず引き止めた。己の眠気も忘れて。
「まて。仕事の話じゃなかったのか?」
「なんかまずかったか?」
「いや…いや、それならいい」
「なんだ?何が言いてえ?言いたいことがあるなら今言え。次はねーかもしんねえぞ」
「……」
プロシュートのきつい物言いはいつものことだが、リゾットにはややシリアスに響いた。しばし間をおいて、もう一度プロシュートの顔を見上げる。
「聞いてくれるか」
「ああ、いいぜ」
その時イルーゾォは鏡の世界で新作ホラームービーのDVDを鑑賞していたので、しばらくはその異音に気づかなかった。
映画DVDを鏡の中で見るようになったのは、外の世界で見てると次から次へと邪魔が入るせいだ。とくにスプラッタ系の場合、ギアッチョは気色悪いだのゲロ以下だだのギャーギャーうるさいし、メローネはここの特殊効果はこうなってるとかこの女優の二の腕サイコウとかやっぱりうるさい。
今はみんな寝てるか出かけてるかで不在だから、鏡の中に引きこもる必要もないが、もはや習慣化している。悲しい習慣ではあるが、イルーゾォ自身は気にしちゃいない。
ヒロインの女優がベッドに入って寝ようとする静かなシーンで、イルーゾォはその音にようやく気づいた。
最初は映画のBGMかとおもった。が、それにしては妙に尖った音色だ。いや、音色と呼んでいいものか。なにか悪魔を呼ぶ儀式とか始まってそうな、頭を割る音の羅列だ。
「………」
音を追い、鏡の中を移動して、イルーゾォはその光景を見つけた。
「…なにをやってるか聞いてもいいか」
「いたのか、イルーゾォ」
顔をあげたプロシュートはごくいつもの調子で、鏡の中のイルーゾォを見た。なぜそんな平然とした顔をしてられるのかイルーゾォには心底謎だ。
「起こしてしまったか。悪かったな。そんな大きな音はだしてないつもりだったが」
「いや……それはいいんだけどよ、あんた、それ」
イルーゾォが指さすと、リゾットは両手にもった二本のバチを掲げてみせた。
「作った」
「メタリカでか!?」
「さすがにバチは作れなかったがな。こっちはお手製だ」
そう言ってバチで指し示すその手元には、長さのちがう平たい鉄の板が鍵盤状に並んでいる。イルーゾォはそれをスクールの音楽祭で見たことがあった。つまり、鉄琴だ。
「楽器づくりにハマっていてな」
「あんた時々興味の向きどころがわけわかんねぇな…」
「この鉄琴は上手につくれた方だろ。処女作はこれらしいぜ」
プロシュートがかたわらに転がっていたものを手に持つ。妙にねじれた鉄の棒だ。
「トライアングルか?」
「よくわかったな。俺は最初なんか新しい武器かとおもったぜ」
プロシュートが万年筆でそのトライアングルらしきものを打つと、耳をつんざく不快音が鳴った。イルーゾォは思わす両耳をおさえてのけぞった。
「じゅうぶん武器としての効力あるぜ、それ」
「楽器というのは繊細だな。ちょっとでも曲がったり鉄の分量がちがうと、いい音が鳴ってくれない。鉄琴も、なかなか音階がそろわないんだ。鉄板の長さの調整がむずかしくてな」
リゾットの振りかざしたバチが鉄琴に叩き込まれ、再び悪魔を召喚する呪いの演奏がはじまった。
長く聞かされたら黒魔術でも使えるようになりそうな演奏会だったが、酔っぱらって帰宅したホルマジオによって終演を余儀なくされた。ホルマジオが不快音に泡ふいて倒れたからだ。