ひとからの評価ってのは重要だ。相手が職場の同僚なら、なおさら。だってそれは仕事を組むうえでの信頼に関わるし、もっと単純にいえば給料に響く。
評価は当然、高ければ高いほどいい。だが時として、評価がまっぷたつに割れることもある。
たとえばプロシュートは俺のことをわりとさんざんに酷評する。
「気分屋のうえに集中力がねぇ。全体的にムラが多すぎるんだよ。ノリノリの時はそこらの女も『母親』にして殺しまくるし、ぜんっぜん乗り気じゃない時は『ベイビィフェイス』までもがまったく使いモンにならねぇ、どころか暴走してこっちに危害を及ぼすしまつだ。そのくせ深く考え込みすぎるからいつも行動が一歩遅れる。遅刻も多い。カフェに入ってもなかなか注文を決めやがらねぇ。決断力の鈍さは行動力の鈍さだ。それは致命的な判断ミスにつながる。趣味趣向の偏りが異常だから誰かと組ませて仕事させられない。組んだ相手が耐えきれずに精神崩壊を起こすぜ」
残念ながらかなり的を得ている。俺が反論すべき点はなにひとつない。プロシュートからの評価はスクールでもらう通信簿みたいに的確だ。
それが、リゾットに言わせればこうなる。
「機転がきいて思考の柔軟性が高い。頑固に貫き通すより、その場その場の判断で動けたほうがこうゆう仕事には向いてる。物覚えも早いし、そのうえ記憶力が抜群だ。一度入ったきりの店でも、店名やメニューをよく覚えている。乗った飛行機のパイロットの名前もな。マイペースに行動しながら従うべきところにはちゃんと従えるし、『ベイビィフェイス』への教育を見ていれば忍耐強くもある。意外と教育者や講師に向いてるかもしれない。物事を深慮するから先走った行動をしない、機が熟すのを待てる。それは我慢強さだ。我慢強い人間は信頼できる」
どうだ、このちがいは。まるで別の人を評価しているみたいじゃないか。
正直リゾットから良い評価をもらえてるってのはありがたい。自分のチームのリーダーに信頼されないまま仕事ができるほど、俺の神経はいかれちゃいない。
重要なのは、どちらの評価が正しいわけでも間違ってるわけでもないってことだ。まるで正反対の評価のようでいて、それらはコインの表と裏のようにぴったりと重なりあっている。
どんな人間だって、良いふうにばかり言われていれば、つけあがって成長しなくなるし、悪いふうにばかり言われてちゃあ、卑屈になってやっぱり伸びなくなる。
俺は俺を悪く言う人は信頼できるし、良く言う人は安心できる。
だから二人とも必要だ。