「母親は俺を抱えたままテヴェレ川に身投げした。俺が6つの時だ。秋も終わりのころで凍りつくぐらいクソ寒かったのを嫌ってほど覚えてるぜ」
ギアッチョは空になったワインボトルをぶらぶら揺らせて、ぽいっと床に投げ捨てた。ボトルはやわらかいラグの上に落下音を吸い込ませたが、凍りつくテヴェレ川の水面に叩きつけられた母と子の体は盛大な水しぶきと音をたて跳ね上がったことだろう。
その様を生々しく想像してメローネはソファのクッションにぼすんと後頭部を預けた。顔が熱くて心地いい浮遊感がある。テヴェレ川の水面はもっと固かったろう、冷たかったろう。
「よく生きてたなァ〜そんなんで」
「岸に釣りしてるオッサンがいてよぉ、そのオッサンが助けを呼んでくれたらしい」
「ペッシみてぇなやつがいるもんだな……」
「えっ俺?俺かい?」
テーブルに顔をつけて撃沈していたペッシが、イルーゾォの言葉にすばやく反応して体を起こしたが、頭のてっぺんまでまわりきったアルコールに勝てず再びべちゃっとテーブルに逆戻りした。
その様子を見届けるイルーゾォもほとんど目を閉じかけている。そうとう眠いらしい。
メローネはソファに寝転がって天井をあおいだまま、足元あたりに座ってるギアッチョに声を投げた。
「それでぇー?あんたは岸辺のオッサンにまんまと釣り上げられたってわけか」
「助けを呼んでくれたっつったろーがよォ〜〜話聞いてやがったのかテメーはよォ」
「あわれギアッチョはお魚さんになってしまいました、と」
「あっははははは!」
「笑ってんじゃねェェーーおらイルーゾォぶち割るぞテメーもッ!!」
ギアッチョの大声に呼応して周囲の空気が文字通り一瞬凍りつく。だがギアッチョもかなりアルコールに侵されてるらしい、凝固した氷のつぶはすぐに酒臭い空気に溶かされてしまう。
ギアッチョの氷のスタンドは彼の怒りによって引き起こされる。
テヴェレ川の凍結した水の中で、彼は恐怖や悲しみより怒りを覚えたんだろうか。思想をアルコールの波に漂わせ、メローネは笑う。
その酩酊した笑みを嫌そうな顔で一瞥してから、ギアッチョはまた別のワインボトルに手をつけた。もう10本以上の空瓶が床に転がっている。
「ケーサツだかなんだかが駆けつけて、俺だけが助けられた。母親は即死だったんだと」
「水面に叩きつけられたとき、あんたをかばったから?」
「ケッ……中途半端なことしやがるならハナッからガキを巻き込むなっつーんだ」
口調に反してギアッチョの顔に浮かぶのは苦い表情だ。どういう経緯でギアッチョの母親が幼い我が子を抱え、凍りつく川に身を投げなければならなかったか、そのへんの話はもしかしたらすでに聞いたのかもしれないが、もうすっかり皆がしたたか酔っぱらっていて、思い出すことも難しい。
テーブルに頬杖ついていたイルーゾォが、いつのまにか顔を突っ伏している。ペッシに続いて一足先に夢の世界へ旅立っていったらしい。
リビングには酒盛りの終盤特有のけだるさが漂っている。いまリビングに足を踏み入れれば、素面でも匂いだけで酔っぱらえるかもしれない。
メローネは体を横に向けて腕枕をした。見えちゃいないが、のばした足の先には変わらずギアッチョの体温がある。彼のスタンド能力とはかけ離れた、ぬるくて高い温度。ギアッチョはまだワインボトルを口飲みしている。いま川に身を投げたら、さすがのギアッチョも溺れちまうだろう。
「やさしいひとだったんだな、あんたの母親は」
「ああ?テメーのガキまで道連れに死のうとする奴のどこがやさしいってんだ」
「ひとりにしたくなかったんだろ」
「結局生き残った俺はひとりじゃねーか。6つのガキがひとりで生きてけるほどココはいいトコじゃあねーってオメーも知ってんだろ。都合良く自分だけ死んじまいやがって。俺はひとりだ」
「冷たかっただろうな」
「冷たかったぜ。今でもよく覚えてる」
そう言って、ギアッチョはまたボトルを呷った。そうやっていないと体温を保っていられないとでもいうように。
「オメーはなんでひとりになったんだ」
ギアッチョの声を聞きながら、メローネは目を閉じる。酔いが心地よく頭上からおりてきて、やわらかい毛布みたいに、まぶたは幕を下ろす。
「ひとりじゃねぇよ。いまも昔も」
俺には母親がたくさんいたって話、こいつにしただろうか。彼女たちは俺にベタ甘で、なんでも着せてくれたしなんでも買ってくれたんだ…。
ゆるやかな波に揺られるような心地よさのなか、メローネはひとり酒を飲み続けるギアッチョの姿を脳裏にえがいた。彼はまだひとりで冷たい川の中に沈んでいるのかもしれなかった。テヴェレ川の底に、何年も放置されて朽ちたガラス瓶みたいに、曇って傷だらけになりながら。ギアッチョの、氷に包まれたやさしい心は、沈んだ川底でそれでも透明なままなのだ。