ナタリーにとってパリコレ取材の仕事は幼い頃からの悲願だった。フランスの片田舎で雑誌記者になってから、この日をどれほど待ちわびたか。週末のファッション関係者のパーティーには必ず顔を出し、カメラマンや編集アシスタントと少しづつコネをつくり、やっとパリコレ行きの切符を手に入れた。
とはいえ、ただの雑誌記者であるナタリーが、パリコレ参加者たちのパーティーなんていう華やかな場へ招かれるわけがない。ナタリーはパーティーが行われてるパリ7区の高級ホテルの厨房の下男に金を渡して、裏口からどうにかこうにか潜り込んだ。
(うわぁ……別世界!)
パーティー会場はあふれんばかりの人だ。その誰もが、ヨーロッパの生んだ珠玉のトップブランドを身にまとっている。シャネル、ディオール、ヴェルサーチ、カルバン・クライン、ジミー・チュウ、ナルシソ・ロドリゲス…。
(まぶしすぎてぶっ倒れそう!)
目立たないように壁際でシャンパングラスを傾けながら、ナタリーは目の前を行き交うきらびやかな男女たちの姿をうっとり眺めていた。ナタリーが憧れつづけてきた世界が、すぐそこにある。
(…あら)
そうやって目を巡らしていると、向かい側の壁でナタリーと同じようにひっそり佇む二人組に気づいた。
ひとりはドルチェ&ガッバーナのダークスーツをまとい、きっちり整えられたブロンドがきれいな頭のラインを映し出している。もうひとりはフェラガモのロングニットで露出の多いトップスを覆い、ややくすんだ長いブロンドを肩に流している。どちらも身につけているのはイタリアのブランドだ。
(コレクションモデルかしら…)
権威ある雑誌編集者や有名カメラマン相手なら、ナタリーごときが声をかける隙もないが、モデルなら取材できるかもしれない。ナタリーは覚悟を決めて、ドレスを軽く正し、人の群れを避けながらゆっくり向かい側の壁へ向かった。
イタリアンブランドを身にまとった二人は、ときどき互いに耳打ちして言葉を交わしてるらしかった。
ナタリーには、彼らの周りに誰も群がっていないのが不思議だった。けれどそこにはまるで透明のバリケードがあって、それが彼らを他人の目に触れないよう魔法をかけてしまっているかのように、行き交う誰もが彼らの前を通り過ぎていく。
それがナタリーにとっては余計に特別なことに思えた。
(どうしようかしら…イタリア語で話しかけるべき?でもイタリア人って決まったわけじゃあないし、私もあまりイタリア語には自信がないわ。英語か、おもいきってフランス語で…)
胸を高鳴らせながらナタリーが、あと数歩で二人に声をかけられる距離に辿り着く直前、突如ナタリーの目の前に人影が飛び出してきた。
「どけッ!!!」
「きゃあっ!」
衝撃でナタリーは後ろに転びそうになったが、尻餅をつく前に腕をぐんっと引っ張られた。
「悪い。大丈夫か」
イタリア語だった。フェンディの革靴をはじめ、こちらもイタリアのブランドをまとった長身の男だ。銀髪のようにみえるプラチナブロンド。ナタリーは慌てて立ち上がった。
「あ、ありがとう!大丈夫!ええっと…」
「そうか。じゃあな」
Chao、というのは聞き取れた。ナタリーは「待って!」と思わずフランス語で叫んだが、男は一切耳を貸す様子もなく人混みにまぎれていってしまった。男の向かった先には、さっきナタリーの目の前を駆け抜けていった、巻き毛の若い青年の姿。彼の通ったあとは、なぜか妙に冷たい気がした。
「なんなの…」
しばらく呆然としていたナタリーだが、ハッと我に返って壁際を振り向いた。目当ての二人組は姿を消していた。
話は2週間前にさかのぼる。
「よぉリゾット、ニューヨークでの仕事はない?」
「ない」
パソコンに向き合うリゾットの横から、メローネがしつこく画面を覗き込んでいる。リゾットは気にせずあしらっているが、見ているほうがうっとおしく思うぐらいだ。
「7番街のファッションアベニューに行きたいんだけどなぁ~もうすぐパリコレだろ?」
「それがオメーになんの関係があるっつーんだよ、ええ?」
ソファに転がってアメリカンコミックを読んでいたギアッチョが、苛々と声をあげる。一人掛けのソファに座るプロシュートは「また始まったぜ」とさりげなくテーブルの上の灰皿を避難させた。
メローネは肩越しにギアッチョに目をやって、フンと鼻を鳴らす。
「古着好きのぼっちゃんは黙ってろ。おまえには一生縁のない話だろうからな」
「ああー?テメーみてえな変態に着られるブランド品の身にもなれってんだ、マリオ・プラダがあの世で泣いてるぜ!」
「本当にいいファッションてのは着る人間を選ばない。俺やおまえみたいな薄汚ぇギャングだって、イタリア王室さながらに仕立てるのがプラダの魔力さ」
「テメーがファッション語るんじゃねーよ気色悪ぃ!」
実際のところギアッチョもファッションにはこだわりのある方で、ブランド物よりもアメカジ風の古着で上手くコーディネートする。メローネとは単に趣味が合わないだけだ。
「オメーよぉ、俺に説教とはいい度胸じゃねえか…オメーのその穴だらけの服よりもっと涼しくしてやるぜ、凍え死んじまうぐらいによォ…」
「その前に鏡を見てきたらどうだ?頭にでっかいカタツムリが住み着いてるぜ」
「こうゆう髪型なんだよクソがァァーーッ!!!」
「やかましいぞおまえら。やるなら外でやれ。プロシュート」
リゾットの声に仕事の話が始まるのを感じ取って、メローネはあっさり身を引いた。かわりにプロシュートが席を立ってリゾットの前に歩み寄る。
「国外だがかまわないか」
「ああ。どこだ?」
「パリ」
「同行するぜ!」
去りかけていたメローネがすごい勢いで戻ってきた。その動きを予想していたプロシュートはメローネの脇腹にニーキックを入れる。
「おめーはお呼びじゃねえ」
「いいや、なんといわれようと一緒に行く、飛行機の車輪につかまってでもな」
「いい考えじゃねーか、パリに着く頃にはそいつも挽き肉になっちまって、これで世界は平和ってこったな」
「ギアッチョ、おまえもだ」
「はぁぁ~!?」
自分は関係ないとばかりに揶揄を投げてきたギアッチョだったが、リゾットの言葉に心の底から嫌そうな声をあげる。
「2週間後のパリコレの裏で、ヨーロッパの主立ったギャング組織の会合があるのは知ってるな。パッショーネのボスは当然参加しないが、幹部どもがパリに集結する」
「その護衛ってことか?」
「護衛なら親衛隊の仕事だろ。俺らの本業は『暗殺』だぜ」
「もちろん。連中の動きに俺たちは関係ない。やることは『殺し』だ」
「誰をやるんだ」
「フランス人ファッションデザイナー、アルゴ。スタンド能力者だ」
リゾットが差し出した写真には、坊主頭に縁の太い眼鏡の男が写っている。ファッション業界にはありがちな、少しゲイっぽい雰囲気のある顔だ。40代ぐらいだろうか。
プロシュートが受け取ってしばらく眺めたあと、写真を渡されたメローネは一瞬見ただけでもうそれ以上見たくないとばかりに即座にギアッチョに回した。逆にギアッチョは穴のあくほど写真を凝視する。
「こいつ知ってんぜ」
「だろうな」
「どうゆうことだ?」
「元パッショーネの暗殺者だ」
「暗殺者だと?それがなんでパリコレのファッションデザイナーなんかやってる」
プロシュートの疑問は当然だ。組織を抜けるというのはイコール死を意味する。とくに暗殺専門のチームにいたならなおさら。ボスが組織の犬に付けた首輪を簡単に外すはずがない。
「時期的にはモレロと同期の男だ。モレロってのは俺の前任のチームリーダーだった男だが、モレロがリーダーになる前にアルゴはフランスの組織に引き抜かれた。能力を『買われて』な。文字通り金の取引があったらしい」
「なんでそんな、昔のチームの人間をギアッチョが知ってんだよ」
「関係ねーだろうが、今回の仕事にはよォ」
メローネの視線をあからさまに避けて、ギアッチョはそっぽを向く。わかりやすく話したくないらしい。
「アルゴがファッションデザイナーをやっているのはスタンド能力の特性を活かしてのことだ。ギャング御用達のデザイナーってわけだな」
「いやな予感がしてきたぜ」
言葉ほど嫌な顔もせずプロシュートは肩をすくめる。
「さすが勘がいいな。パリコレのレセプションパーティーに着ていく服を、アルゴに仕立ててもらう」
「そこで殺すのか?」
「いや、能力を見極めてからだ。実際にやるのはパーティーの時になる」
「めんどくせェ…」
「だからギアッチョのかわりに俺が行ってやるよ」
「なんでそこまでして行きてぇーんだよテメーはよォ」
ギアッチョが睨みやってもメローネは鼻で笑うだけだ。おまえだって秘密にしてることがあるだろうと。
プロシュートとメローネが部屋を出て行ってから、ギアッチョはリゾットの前に立ち、二人の出ていった扉を見た。
「なんでアイツ、あんなにパリに行きたがるんだ?ファッション好きとはいえ異常じゃあねーか?」
「さあな、フランスが故郷なんじゃないのか」
「そうなのか?」
「フランス語に詳しいからそうかと思ってたが」
リゾットは手元の煙草ケースから一本抜き取って銜える。その様子を眺めながら、ギアッチョはアルゴの写真をリゾットの目の前に放った。
「あんた知ってんのか。コイツと俺のこと」
「モレロから聞いてな」
「プロシュートのやつは」
「モレロがしゃべってなければ知らないだろう。あいつはモレロがチームリーダーになった後でうちに配属されてる。だからアルゴとは面識がない」
「アルゴは俺がやるぜ」
「私怨ならばやめておけ」
「ちがうね。俺は『仕事』でしか殺しはやらねぇ…メンドーだからなァ~」
ギアッチョが机の上の写真を指ではじくと、一瞬で氷漬けになって粉々に砕け散った。