復讐はダサいが仕返しは娯楽だ。メローネという男はやられたらやられっぱなしで黙ってるような可愛い性格をしていない。 
「べろべろに酔っぱらってたから、タクシーつかまえて帰ろうと思ったんだよ。タイミングよく駅前でタクシーを拾ったんだけど、飲んだあとだったからぜんぜん金もってなくて、家についたら金渡すから乗せてってくれってたのんだのに、現金がないなら話にならないっつって運転手は行っちまって、しかたなく家まで歩いた。何日かあと、また駅でその運転手の乗るタクシーを見かけた。そこで俺は報復行為にでた。そのタクシーの前に2、3台別のタクシーが並んでて、順番に運転手に声をかけて、『フェラしてやるからタダで乗せて?』って言った。みんな『失せろこのホモ野郎!』って言ってきた。で、最後に例の運転手んとこいって、家の住所を告げて俺はそのタクシーに乗り、他のタクシーの連中に笑顔で手を振ってやったのさ」 
「…どうゆうことだソレ?」 
理解しがたいという顔でペッシが小首をかしげる。その横でプロシュートはエスプレッソを傾けながら、メローネの話に注釈を入れてやった。 
「他のタクシー運転手は、その運転手が男に喜んでフェラされるホモ野郎だと勘違いするってこった」 
「うわァ~陰険」 
「というより薄汚ねーよ。陰湿だ。ずるがしこいし執念深い。性格ワリィなテメー」 
ギアッチョからの罵倒にも、メローネは涼しげな顔だ。 
「目には目を、だろ。やられたらやり返すのが当然さ…やり返されたくなけりゃもっと利口になることだ」 
夜風になぶられる髪をおさえながら、灯火に浮かび上がる駅舎を見るともなしに見る。この時間帯でも行き交う人の姿は絶えない。 
「ああ、仕事は片付いた。予定通りだ。『ベイビィフェイス』の息子を回収して、そっちに戻る。じゃああとで」 
携帯電話を切ると、メローネは寄りかかっていた塀から背中を離して、建物の陰に隠したバイクの元へ歩き出した。『ベイビィフェイス』の親機もバイクと一緒に隠してある。仕事は滞りなく完了した。あとは息子を回収してアジトへ戻るだけだ。 
バイクを置いてある路地に入ろうとすると、路地の入り口を遮るように一台のタクシーがメローネの目の前に滑り込んできた。 
邪魔だな、と避けようとしたとたん、メローネは気づいてしまった。 
あたりは暗くて、運転席に乗る奴の顔は見えない。それでもわかった。これは例のタクシーだ。数日前に、仕返しをしてやった、あの。 
思わず凝視するうちに、運転席のウインドウが静かに下ろされる。 
「乗ってください。家まで送りします」 
顔をのぞかせたのは、まちがいない、あの時の運転手だ。まだガキの面構えだが、妙に大人びた表情の少年。 
メローネは口元を歪ませて笑った。 
自分も執念深いタチだが、この少年もなかなかのモンらしい。 
「あいにく、今日は自分の足で帰れるから結構だよ。他の客を探してくれ」 
「…………」 
少年が無言でただじっと目線を向けてくるのを無視して、メローネはタクシーを避け路地に入りかけた。 
が、足はそれ以上進まなかった。 
路地裏に立てかけておいたバイクがない。ついでに『ベイビィフェイス』の親機も。 
「あんたはこのタクシーに乗らなくちゃあならない…さぁ乗ってください。同じことを二度言うのは嫌いなんだ。これ以上言わせないで」 
背後から投げかけられる少年の声。メローネは肩越しに振り向く。その顔にもう笑みはない。冷然とした表情で運転席の少年を見返す。 
「どこにやった。…いや、どうやって?」 
「タクシーに乗るなら教えます。力ずくは本意じゃないんだ…あんたが自主的に乗ってくれると助かる」 
「…………」 
メローネが黙ったまま動かずにいるので、少年はさらに言葉を継いだ。苛立ちもせず、冷静に、諭すように。 
「あんたは馬鹿な人間じゃない。あんな狡猾なやり方で仕返しをしてくるんだから。きっと頭が回るんだろう。それも、悪質な方向性で。それならあんたには分かるはずだ、僕の言う通りにしないと僕は絶対にあんたに何も教えないし、何も返さないってことが」 
メローネはやはり黙ったまま、カツカツと石畳にブーツの音を響かせ、タクシーの後部座席の扉をバカッと開けた。クッションの悪いシートに体を滑り込ませると、同じぐらい勢いよくバンッ!と扉を閉める。 
外界と遮断され、街の喧噪も遠くなった車内で、運転席の少年がギアをチェンジしアクセルを踏み込む音だけが聞こえる。エンジンの回転音とともに、タクシーは夜の路地を滑り出す。 
運転席に座る少年の顔に対向車線のテールランプが走るのを見ながら、メローネは気だるげに口を開いた。 
「それで?これからどうしようってんだ?憂さ晴らしに俺を殺してそのへんのドブ川に捨てるとか?」 
「まさか…そこまでの手間をかけるほど、あんたに思い入れはない。僕はあんたを送り届ける。あんたは僕に運賃を支払う。それだけでいいんだ」 
「あくまで合法に、金を巻き上げようってことか」 
「やっぱりあんたは頭がいい。話が早くて助かります」 
「どうも。悪知恵が働くって意味なら、あんたもなかなかのもんだよ…見込みがあるんじゃあねえかなァ」 
「見込みとは?」 
「ギャングの素質」 
運転席の少年が、ルームミラー越しにチラとメローネを見る。 
「あんた、ギャング?」 
「さぁ…どう思う?」 
「質問を質問で返さないでください。聞いてるのは僕だ」 
「おまえはここまでの状況を思い通りに操って自分が優位に立ってるつもりかもしれないが、たとえば俺にはいまひとつのアイデアが頭に浮かんでる。このままこの車で送ってもらって、降りる時にあんたを車もろとも始末する。そうすりゃあ金を払うこともない、これ以上付きまとわれることもない……一番合理的かな」 
メローネはウィンドウに肘をついて、窓向こうの夜景を眺めている。表情はやさしげでさえあった。まるで夕食のメニューでも考えるような口ぶりだ。 
「バイクがどっかいっちまったのは困るけど。『アレ』はけっこう気に入ってたんだ。『仕事』する時にないと不便だから、返してもらえると助かるんだけど」 
「その代わりに僕に命乞いをしろと?」 
「『バイクを返すから命だけは助けてください』って?あんたがそうゆう素直さをもった人間なら、俺もメンドーなことをせずに済むんだがなァ…どうもそうは思えない」 
「あなた、『仕事』はなんです」 
「んー簡単に言うとクソみたいな仕事。でも気に入ってる」 
信号が赤になって、タクシーは前方の車に後続し交差点でゆるやかに停車した。きっちりとした負担のない走り方から、少年の冷静で論理的な性格が見える。 
少年はハンドブレーキをかけて、ハンドルに両腕をかけ前傾にもたれかかった。彼の、色の濃いブロンドの髪に、道路の赤や橙の光が映る。 
「僕には、夢があって」 
打ち明け話をするような、静かな声で。 
「ギャングスターになることです。僕に昔、生きる道を教えてくれたのがギャングの男でした。それまでの僕は親さえ見向きもしないクズにひとしい存在だったけど、ギャングの男は僕をれっきとしたひとりの人間として接してくれた。クズだった僕を人間にしてくれたのは彼です。僕の生きる道はこれしかないと思った」 
一度言葉を止め、少年は、車に乗り込んで以来初めて、きちんとメローネの方を振り向いた。 
「僕はなんでこんな話を。あんたなんかに」 
「知らねーよ…」 
頬杖をついたまま返すと、少年は自分で納得するように少しうなずいて、また顔を前方の道路へ向け直した。ハンドブレーキを下ろし、アクセルを踏み込む。ゆっくりと、石畳の路面を走り出す。 
「あんたがどういうキッカケで、そのクソみたいな仕事についたか、知らないけど、その仕事は少なくともあんたに生きる道を示してるんじゃあないか、と思ったんです。あんたはどうも、ちょっとばかし変わってて、会社で働いてそうでもないし工事現場にいそうでもない。うまく生きてく場所を見つけるのは、大変なんじゃあないかと感じます」 
「変なやつって言うならおまえだって相当だぜ」 
「その通りです。僕もずっと居場所がなかった。だからなんとなく分かります。居場所をもちにくいたぐいの人ってのが」 
タクシーは大通りを外れてまた路地に入っていった。しばらく走って、昔ながらの建物が並ぶあたりで停まる。前回このタクシーに乗った時に、目的地に指定した場所だ。よく覚えてたな、とメローネは素直に感心する。 
エンジンをかけたままハンドブレーキを上げて、少年はこっちを振り向いた。そうして手を差し出してくる。 
「約束だからバイクはお返しします。あと妙な機械も」 
「なんの冗談だ?」 
少年の手に握られていたのは2本の薔薇だ。メローネは眉をひそめて問い返す。少年は大人っぽいしぐさで肩をすくめてみせた。 
「うまく説明できないけど、赤い方が妙な機械、白い方がバイクです。あんたがタクシーを下りたら『元に戻す』。大丈夫、僕を信じて」 
「おまえを信じられる要素なんて何一つないぜ」 
「あんた、バイクの方は本当にどうだっていいんだろうけど、あの機械は必要なんでしょう。『仕事』するのに。あんたの仕返しはムカついたけど、『仕事』を邪魔するつもりはない…僕の『夢』にかけて約束します」 
「そうかよ」 
赤と白の薔薇を受け取りながら、メローネは馬鹿馬鹿しくなって笑みさえこぼれた。それは微笑みのように見えたかもしれない。メローネは黙ってさえいれば優男だったから誤解されることが度々あった。運転席の少年はぱちぱちと目を瞬かせた。 
「あんたやっぱりヘンですね」 
「よく言われる。じゃあな」 
「待って」 
「まだなんかあるのか?」 
「代金払ってってください」 
もはや言い返すのも面倒になって、メローネは相場より少し低めの金を渡した。少年は今までで一番あからさまに表情を曲げる。 
「ケチだな…あんた働いてんでしょう」 
「あいにく薄給でね。おまえが俺らのボスになったらぜひ給料をあげてくれ。みんな『仕事』に関しては優秀なのに、不遇なんだ」 
「あんたは?『仕事』に関して優秀なのか?」 
「それは自分の目で確かめな…」 
そんな時がくるならば。メローネは扉をあけてタクシーを下りた。2本の薔薇を手に、タクシーが走り去るのを見届ける。 
そのうち手の中の薔薇が震えるように胎動するのが伝わってきて、赤い方は手に持ったまま、白い方を地面に置いた。 
もう目に見えてわかるほど、薔薇は震えながら姿を変えようとしている。メローネはいつからか、あの少年も自分と同じように『能力』をもつ者だと理解していた。理論じゃなく感覚で。それはつまり少年の言う「自分と似たたぐいの人間がなんとなくわかる」と同じことだった。たしかに少年とメローネはどこかで似ていて、通じ合ってる部分があるのかもしれない。ならばきっとこの巡り会いも必然なのだ。