家の中の何もかもが氷の彫刻のようだ。テーブル、床、花瓶、クッション、電話、食器、ピアノ、人間、なにもかもが、凍りついている。
「終わったか」
裏口を出ると、プロシュートが両手をコートのポケットに突っ込んで立っていた。唇にはさんだ煙草をひょこひょこ動かしながらしゃべる。なんとも気の抜けた様だ。
「チッ!俺ばっかり働かせやがって、クソッ!」
「てめえよぉ、ギアッチョ、わかってねぇな?この近年まれにみる大豪雪という状況を鑑みた結果、論理的な判断による展開だ。おまえの文句が正論になる確率はゴミカスほどもねえ。あきらめな」
「てめえのそうゆう言い草が心底ムカつくんだよクソがッ!」
ギアッチョは足元にあったワインケースを蹴り飛ばしたが、ほとんど氷の塊と化しているそれはかすかに地面を滑っただけだった。降雪はやんでいるが、家の周りも道路もどっさりと雪が積もっている。気温は数日前に氷点下を軽く下回って見たくもない数値をたたきだした。ここはロシアかと思うほど、とにかく一面の銀世界だ。
「帰るぜ。はやくホットブランデーでも飲まねぇと体が凍りついちまう」
「クソッ、俺の分も作れよ」
ぶつぶつ文句を言いながら、プロシュートの一歩後ろをついて歩く。この雪じゃ車を出すのもままならない。街中の交通手段はほとんど封じられている。
空はもうすぐ夜明けだ。少しずつ薄い水色に橙がまじっていく。プロシュートの捨てた煙草が、ひとあし早い朝日を灯して消えた。人通りのない歩道を2人きり、踏みしめる雪は青白く輝いている。
「よぉ、あんたのスタンド、これ以上寒くなっちまえば使いモンにならねーんじゃねえか?」
「ああ?」
眉間に不快感を刻んで、プロシュートが肩ごしに振り向く。立てたコートの襟で口元は見えないが、その唇が吐き出す悪態は予想できた。
「てめえよぉ、なめたこと言ってんじゃねーぞ。体温が低けりゃ老化が遅くなるだけで、老化自体を止める手段にはなりえねえ。てめえ自身で試してみるか?」
「あー?やんのかァ?てめえこそナメてんじゃねえぞプロシュート」
ギアッチョとプロシュートが互いの胸ぐらを掴むのは同時だった。が、上背の関係でギアッチョはプロシュートに掴み上げられる形になる。それがより一層ギアッチョの血管をブチ切れさせた。
「チクショォォーーイラつくんだよてめぇー!!!」
一瞬にしてプロシュートの腕が氷に覆われ、ギアッチョの手が枯れ葉のようにしおれ、もはや胸ぐらを掴む力も失う。とっさにギアッチョは、自身の腕を凍らせるが、なるほどたしかに老化は止まることなくスピードを落としたままじわりじわりと進行していく。
プロシュートは指先まで凍り付かせたまま、それでもギアッチョから手を離さない。至近で睨む顔は青白く色を失ってるというのに、両の瞳はまるで燃えるような強さだ。なんて強情な奴。
ギアッチョは己の腕を見下ろす。凍り付かせただけでは老化は止まらず、腕から這い上がって肩までが枯れはじめていた。何度目にしてもぞっとする光景だ。
「チッ!たしかにこれぐらいじゃ無効化できねぇらしいな」
「生体である限り『老い』からは逃げられねえよ」
「俺が全身を凍りつかせたらどうなるんだ?」
「同じことだ。じわじわと、老衰して、やがて死ぬ。砂時計の砂が落ちるみてーに、ゆっくりとな…」
ゆっくりと、それは死を呼び寄せる呪文。皮膚は枯れ、筋肉はしおれ、やがて立つ力をなくし、骨は削がれ、歯が抜け、内臓が腐り、記憶や思考さえ壊れ、そして心臓が止まる。それが、プロシュートの呼び寄せる死。
「……ケッ、そんなつまんねー死に方はごめんだぜ」
つかんでいた胸ぐらを突き放すようにして、ホワイトアルバムを解く。同時に腕の老化も止まり、皮膚も骨もじょじょに元通りに戻っていく。
プロシュートは、何事もなかったかのように煙草を一本くわえて、ジッポをこすった。いつもより、ジッポの火を灯す時間が長かった気がする。かざした手をあっためたのかもしれない。
それから、目線だけあげて、ギアッチョをみる。
「心配しなくても、そんななまぬるい死に方、この道の先にはねぇよ」
呪われたように悲惨な死に方をするだろう。自分も、この男も。