忍者ブログ

[PR]


×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

ガラスの凶器 p.m.g


 ジェラートはチームで一番のナイフの使い手だった。
 いつだって全身に数十のナイフを隠し持っていて、屈んだと思えばブーツからナイフが飛び出たし、握手、といって差し出された手の袖口から気まぐれにダガーナイフが顔を出すのも、彼おきにいりの冗談だった。
「今までこのチームに来たやつ全員にコレやったんだけどさ、避けたのはおまえで3人目」
 初めて顔を合わせたときに、やはりその冗談を仕掛けられたプロシュートは、自分以外の2人が誰か、言われずともなんとなく分かった。ソルベとリゾット。
 結果としてジェラートのダガーを避けれなかった他の連中は、みんな死んだ。任務中に、あるいはボスに粛清されて。

 プロシュートは一度ジェラートに、なぜナイフを使うのか聞いたことがある。
 ナイフはたしかに不意をつければ十分な殺傷能力をもつし、近接ならなんらかの怪我を負わすことは可能な安易な武器だが、殺傷の即時性は薄く、急所や関節を正確に狙わなければ、なかなかすぐには死んでくれない。拳銃のほうが確実だ。
「なんでっていわれても、まぁ、好きだから?扱えると楽しいもんだぜ。楽器とかと同じだ」
 なるほど。納得のいく答えだった。トランペット奏者になぜバイオリンを使わないんだと聞く人はいない。
 ジェラートのおきにいりのナイフはガラス製だった。切れ味がとにかく良い。ただガラス製だけあって割れやすいから、扱いが極端に難しいという。
 プロシュートは一度だけジェラートと一緒にこなした仕事で、彼のガラスナイフがターゲットの首を刎ねるのを見た。その切断面は鮮やかなものだった。まるで初めからそうなることが予定されていたように、肉も骨も、真っ平らに裂かれた首。
 だから額に飾られたソルベの胴体の見事な断面を見たとき、すぐに気づいた。
 ジェラートのガラスのナイフで、切ったのだと。




「おっせェーなァ〜〜プロシュートのやつはよォ〜!」
「あと18分まって来なかったらベイビィフェイスでも使うか」
「なんで18分なんだよ?中途半端じゃねーかッ」
「昼飯の時間だ。ピッツェリアに行きたい」
 ホテルのロビーでギアッチョが苛立ちまぎれにソファの足を蹴りつけるのを、メローネは興味なさげにスルーした。ふたりともソファに深々と体を沈め、ロビーに置かれたテレビから流れるおもしろくもクソもないニュースを流し見ている。
「だいたいプロシュートのやつは何を探してるっつーんだ。仕事した現場に長居すんなっていっつもアイツが言ってることじゃあねーかッ!クソッ、納得いかねーぜ、自分の言ったこと破ってまで『探し物』なんてよォ〜」
「イライラしないでくれ、ギアッチョ」
「イライラしてんじゃあねーよッ、元からこうゆう口調だッ!それで、メローネ、オメーは知ってんのかよ?あの野郎の『探し物』がなんなのか」
「さあなァ……ガラスの靴ならぬ、ガラスの凶器でも探してるんじゃねえの」
「ハァ?なんだそりゃ?おとぎ話か?」
 ホテルの入り口付近に併設されてるカフェには、真っ昼間っからビジネススタイルの男女たちが、ワイン片手に談笑している。ビジネスマンでも昼の休憩時間は2時間あって当たり前なのがイタリアという国だ。それに、うまい料理には、それに合ったうまい飲み物をとるのが当然。自然とワインを傾けることになる。
 カフェの光景を眺めながら、昼飯はフォカッチャとラザニアにしようとメローネが人知れず心に決めていると、ギアッチョが今度はメローネの座ってるソファを蹴りつけてきた。さすがにイラッとくる。
「ああ?」
「オメーよォ、人が話しかけてんのに勝手に意識飛ばしてるんじゃあねーよッ!」
 オメーのよくねぇクセだ!と、今までにも何度か言われた文句をまた言われる。あーうるせえなといつも通り耳をふさぐが、ギアッチョ以外にもそれを指摘されたことがあるので、実際にそれはメローネのクセなんだろう。
「ガラスの凶器って、なんの話だ?」
「ああ……どうだっていいだろ、そんなの」
「よくねーよ。気になるじゃねーか!」
「ヒマなんだな、ギアッチョ」
「オメーもだろうがよ」
「コイン持ってるか?裏か表かで決めよう。表だったら俺はガラスの凶器の話をする。裏だったらしない」
「やっぱりオメーもヒマなんじゃあねーか」
 ポケットをまさぐって、ギアッチョが硬貨を一枚差し出してくる。
 なんだかんだいいながら付き合うんだからやっぱりギアッチョもヒマだ。総合すると、ふたりとも、やっぱりヒマだ。
 メローネは、コインを握った拳の親指のうえに乗せ、ピンッと跳ね上げた。それを手の甲でキャッチし、空いた片手でフタをする。
 本来ならここで表か裏か、なのだが、すでにその条件はメローネ自身が提示してしまっていた。ギアッチョがそれなりに真剣に見守る中、メローネはゆっくり時間をかけて、フタした片手を持ち上げる。
「……チッ」
「やった!表だッ!ほら、さっさと話してもらおうじゃねーかァ〜?」
 ギアッチョがやたら嬉しそうに声をあげるのが何かと癪だが、賭けは賭けだ。メローネはコインを手遊びながら、再びソファの背に体を沈めた。
「ガラスの凶器ってのは、ジェラートの使ってたナイフのことさ。奴の愛用品だ」
「へえ?ガラス製のナイフか?変わってんな。それで、なんでプロシュートがそれを探してるってんだ?」
「それがあればボスの正体がつかめるかもしれないから」
 ギアッチョの目の色が変わった。ギアッチョが突っ込んで聞いてきたのは本当に単なるヒマつぶしだったが、今ははっきりと、好奇心をもって身を乗り出してくる。
「どうゆうことだ?詳しく教えろ!」
「こっから先は別料金なんだがなァ〜……順を追って話すと、ジェラート愛用のガラスナイフってのは、切れ味抜群で、物を切れば、切断面がめちゃめちゃキレイに仕上がるらしい。肉だろうと骨だろうとな。ソルベはおそらく、そいつで切断されたんだ」
 ギアッチョが、ゴクリとのどを鳴らす。ギアッチョにとってもメローネにとっても、ソルベのあの美術品のように額におさめられたバラバラ切断遺体の光景は、まだ遠い記憶じゃない。
「ソルベの遺体もジェラートの遺体も戻ってきたが、ガラスナイフだけはどこにいったかわからなかった。おそらくソルベを切断するときに、それを実行したか手伝ったかした奴、あるいはボスは慎重な人物みたいだから、処刑はボスひとりで実行したかもしれない。その片付けをさせられた奴……今日殺したターゲットが、おそらくそいつだ。プロシュートは、ジェラートのガラスナイフをそいつが持ってるんじゃあねーかと疑ってた」
「なるほどなァ、もしそのナイフを取り戻せれば、で、運良く血液が付着してりゃあ…」
「ベイビィフェイスで追えるかもしれない。ボス本人じゃなくても、ボスにごく近しい人物に行き当たる」
「オメーらいつのまに、そんな怪しいはかりごと、してやがったんだよ」
 メローネは口の端を上げて笑い、もてあそんでいたコインをピンッと再び跳ね上げた。
 落ちてきたそれを宙空でつかみとり、ギアッチョの目の前で、ゆっくり手のひらを開いてみせる。コインはない。
「おおッ!?消えた。どこやったんだ!?」
「ないしょ」
 メローネが笑うと、ギアッチョはしばし間をおいて、いきなり何かに気づいたらしかった。
「オメー!『ないしょ』じゃねー!それ俺の金だろーがよッ!返しやがれ!!」
「別料金っつったろ。お代はいただいとくぜ」
 少ないが昼飯の足しにしよう。メローネの計算は狡猾だ。




 腹に食い込んだ異物感に、男は大きくわなないて悲鳴をあげた。
 一方のプロシュートも、刀身を、柄を、それを握る手を伝って、男の肉をえぐる感触をはっきり知覚する。
 ぐ、と体重をこめてさらに押し込む。それから、ねじる。男が嗚咽をもらす。やめてくれ、勘弁してくれ、殺さないでくれ…。男の嘆願が、肉に食い込んだ刀身に響く。
 プロシュートは抱き合うように密接した男の肩にあごをのせ、男の耳に静かな声を吹き込んだ。悪いな、俺はオメーに恨みはねえが、このナイフは、オメーへの恨みがたっぷりなんだ…。
 男を突き放すと同時、勢い良くナイフを抜き取ると、男の腹部からは滝のように血が流れ出て、男はしばらく壁にもたれ喘いでいたが、やがて足の力が抜け、地面に倒れ伏した。
 プロシュートは倒れた男に歩み寄って、脈で死んだのを確認すると、男のジャケットでナイフの血をぬぐった。
 ガラスの、すっかり曇ってしまった刀身が姿をあらわす。元はうつくしい透明色だったのに。ジェラートの手元にあった時は、こんな風に曇ること、一度だってなかった。
 結果として、メローネとギアッチョと一緒に当たったターゲットの方は、ガラスナイフのことなど知らず、その相棒だった男が所持していた。二人とも、ソルベの処刑現場の後片付けに携わった、下っ端のゴロツキだ。
 ゴロツキでも、二人は互いに相棒と呼ぶほどに、仲が良く仕事も共にこなしていたらしい。
 ジェラートとソルベもそうだった。あの二人は相棒だった。自分たちのチームで特定の相棒をもつ者は他にいなかった。あの二人だけだった。
 プロシュートは、二人の仇を討ちたいわけじゃない。ただ汚された誇りは自分たちの手で取り戻したかった。曇ってしまったガラスナイフ。元はうつくしかった。もう使い物にならない。

西風の見たもの2 all パロ


※全員が貴族の兄弟パロディの続き. 前作はココ





 目の前に現れたそれをリゾットはプロシュート2号と名付けた。
 いや、見た目はまったく似ていないが。なんとなく10歳ぐらいの頃のプロシュートを思い出させるのだ。動きが。
「俺はよォ~~べつにかーちゃんが死んだからって、あんたらに引き取ってもらわなくても、ひとりでだって生きていけたんだ、むしろそっちのが望ましかったぜ、いまさら家族だとか兄弟だとか、そんなもんよォ、いらねーからな。じゃあなんでここまで大人しくついてきたかって、まぁなんつーか、そう、成り行きだよ成り行き。あとこんなヤクザ丸だしの野郎が送り込まれてきたら、とりあえずは言うこと聞いておくかって、善良な市民なら思うはずだぜ」
「オイオイオイだぁ~れがヤクザ丸だしだって?ええ?オメー来るまでに俺が話したこともう忘れたのか?パティシエだっつってんだろーがよォ~」
 ホルマジオがくるくる巻き毛の後頭部をはたく。すると光速で巻き毛の少年が回し蹴りを返した。
 そういう手癖の悪さもやっぱりプロシュートに似てる。さすが2号。
「……それで、」
 腕組みしてリゾットが声をだすと、少年もホルマジオもぴたっと動きを止めた。空気は読めるらしい。
「スクールは通ってなかったのか。少年」
「少年じゃねえ、俺にはギアッチョという立派な名前がだな」
「じゃあ初対面の人と会ったときは自分からきちんと明確に名乗れ。スクールにも通わずまともな社会性も持ち合わせてない馬鹿と判断されてもしかたないぞ」
「………」
「正~論だな」
 ギアッチョの心の声をホルマジオが代弁した。返す言葉のないギアッチョは舌打ちを鳴らすのみだ。
「…名前はギアッチョだよッ!G-h-i-a-c-c-i-o。2年前まではスクール行ってた、役所の補助でな。自分の名前は書ける」
「人に言えない悪癖はあるか?」
「ハァ~?なんだよそれ」
「これから同じ住居に住む奴が、猫の死体を集めるクセとか持ってたりしたら厄介だろう。事前に知っておきたい」
「事前に知ってどうにかなるのかよそれはッ!あとな、俺はさっきも言ったがよぉ、別に来たくてここに来たわけじゃあねーんだ!そんなに嫌々なら、こんなごたいそうなお屋敷に住まわせていただかなくても結構だぜ!」
「俺はおまえを引き取る義務がある。血縁者だからな。戸籍上の縁者が存在するのにストリートチルドレンになんかなって役所に保護されることになったら、結局俺たちがおまえを養育するよう役所に言いつけられる。なら最初から引き取ったほうが早い。どうしたっておまえの存在は俺たちに迷惑をかけることになるんだから、面倒な抵抗してないで世話になっておけ」
「帰る!!!」
 すばやく回れ右して走り出そうとしたギアッチョの首根っこを、ホルマジオがつかんで止めた。猫の子のようにギアッチョは足をバタつかせる。
「まぁまぁ待て待て。リゾットの言うとおりだ。おとなしく世話になっとけって」
「イヤだね!いっしょに暮らす人間を選ぶ権利ぐらい俺にだってあるぜ!」
「ん~オメーの言いたいことはわかるがよォ、父親も母親もいねえおまえがこの先どうしたって一人で生きていけるもんじゃねぇことも、わかってんだろ?だいたい帰るってオメー、どこに帰るっつーんだ?オメーの帰る家はねえんだよ。ここしかな」
「ギアッチョ」
 ホルマジオにつかまえられてるギアッチョの正面に、リゾットは回り込んだ。
 ギアッチョはメガネの奥からリゾットを睨みつける。
「俺は今まで3人の『兄弟』をこの館に迎え入れてきた。そのうちの2人は今はいねえがな…元からこの館に住んでた奴らも全員等しく、俺にとっちゃ『兄弟』だ。俺らは母親は別だが、たしかにこの館のあるじだった男の血を引いてる。それだけでおまえは、ここに住む権利がある。俺はここに住む権利のある奴を拒否しない。歓迎もしないが、俺はおまえを受け入れる用意がある。どうする」
「…………ケッ」
 どうするもクソも、と毒づきながらギアッチョは目をそらした。




 乱暴に開いた扉は乱暴に閉められた。イルーゾォの部屋の扉をこんな風に扱うのは一人しかいない。
「イルーゾォ?いるんだろ?」
「いるよ。扉を乱暴に扱うな」
「夕食会は全員強制参加だぜ。ひさびさにホルマジオのやつも帰ってきてる」
 相変わらずメローネは人の話を聞いていない。イルーゾォは深く座り込んでいたソファから立ち上がって、読みかけの本をベッドに放った。
 イルーゾォがいるのは、廊下につながる部屋よりさらに奥まった書斎のようなところだ。誰にも邪魔されず時間を過ごすにはここが一番いい。屋敷のなかの騒音も、ここまでは届かない。
 廊下側の部屋からメローネがひょっこり顔だけのぞかせた。
「例の新しい『兄弟』、さっき玄関で見かけたけど、すっげえ髪型」
「髪型はおまえだって変だろ」
「くりんくりんの巻き毛。それにメガネ」
 両手でメガネのような形を作る。メローネが妙にご機嫌だ。イルーゾォは悪い予感しかしなかった。
「また新入りで遊ぶ気だろ、メローネ」
「言葉が不適切だな、イルーゾォ。かまってやってるんだよ」
 かつてペッシが初めてこの屋敷にやってきた日も、メローネはこの調子だった。
 ペッシは一週間、メローネからの『集中砲火』を受け、なんとか耐え抜いた。そうして結果的になぜかプロシュートがペッシの保護者になっていた。
「まさかプロシュートがペッシをかばうなんて思わなかったからなぁ、今回はどうろう。プロシュートはやっぱりかばうと思う?自分と母親のちがう『弟』を」
「おまえ、バラバラにしたいのか。俺たちを」
 リゾットが守りたがってる『兄弟』を。
 メローネは、イルーゾォを横目に見て、灰色に緑のまじった瞳を細めてみせた。マスク越しにもその笑みは不穏なものだった。
 イルーゾォは、自分の片割れであるはずのこの男のことが、なにひとつ理解できない。




 テラスから見える空はすでに夕暮れの赤色を失い濃い紺へと変色しつつある。
 殴られた痕みたいだ。プロシュートは自分の思考の阿呆さ加減にテンションが下がった。座ってるベンチの横あたりを手探り、メローネが置いていった煙草ケースをつかむ。
 新しいのを一本くわえ、マッチを擦った。メローネには自ら禁煙宣言したが、今から兄弟全員そろっての夕食会に出なければならないことを思うと、一本ぐらい吸っておかなければやってられない。できれば夕食時にも煙草を持ち込みたいが、それをしたらまた懲罰房に逆戻りだ。
「あ、兄貴ィ、リゾットが、」
「わかってる」
 背後からガサガサと草をかき分ける音をたてながらペッシが現れる。
 ペッシはあまりこの庭園が好きじゃなかったはずだ。たくさん薔薇が咲き乱れてるから、トゲに引っかかるし、居心地が悪いらしい。なのにわざわざやって来たのは、リゾットからプロシュートを呼んでくるよう言付かったからで、プロシュートのためを思ってだろう。
 プロシュートもそれがわかったから、煙草をくわえたまま振り向いて、ペッシに笑いかけてみた。ペッシが、あきらかに安堵した表情をみせる。この屋敷に連れてこられたばかりの頃によく見せた顔だった。
「兄貴、元気そうでよかった。今回は懲罰が長かったから、オレ心配したんですぜ」
「ああ、悪かったな、ペッシ。俺がいない間、メローネやリゾットの野郎にイジメられなかったか?」
「それが聞いてくだせぇよ、メローネがまた俺を庭の池に突き落として…」
「このマンモーニがッ!!!」
 握りつぶした煙草ケースを全力で投げつけると、ペッシはヒィィッと声をあげて尻餅をついた。ソフトケースといえどプロシュートが投げたらメジャーリーグの危険球だ。
「何回言わすんだオメー自分の身は自分で守れッ!やられたら数倍にしてやり返せッ!じゃなきゃあテメーは一生ここで飼われるんだぜわかってんのかァ!?」
「ヒィッ!怒らないでくれよォ兄貴ィッ!!」
 ペッシは半ベソかきながら頭を抱えてうずくまっている。まるで戦場で降り注ぐ焼夷弾に脅える下等兵だ。
 プロシュートはフンと鼻を鳴らし、ペッシにこっち来いと手招きする。
 ビクビクと及び腰で近づくペッシの首に腕をまわし、グイッと引き寄せ、おでこをコツンと突き合わせた。
「いいか?オメーはちゃんと反撃する力をもってんだ。力をもたねぇ弱虫なんかじゃねえんだ。胸をはれ。反撃しろ。オメーにはその力も権利もある」
「で、でも兄貴ッ、相手はメローネだぜ…正当な血筋の人らに、手なんかあげちゃあマズイよ…」
「ハッ!正当な血筋?関係あるか。こっから出りゃあな、ペッシ、血筋がどうとか、そんなのなんの足しにもなんねーんだ。テメーの手とテメーの力で、道を切り開いてくしかなくなるんだぜ。わかるか?血筋や家柄なんてもんに頼ってるやつは、いつまでたっても自立できねぇマンモーニだ。オメーはそんなくだらねー男になるんじゃねえ。いいな?ペッシ」
「う、うん、わかったよ、兄貴…」
 ペッシがうなずいたのにうなずき返して、プロシュートはペッシを解放してやった。
 こういった教えは、ペッシがこの屋敷に連れて来られて、ビクビクと震えながらプロシュートの元に挨拶に来た時から、毎日のように叩き込んできたことだ。
 そう、文字通り叩き込んできた。時に殴り時に蹴り、時に励ましてやりながら。
 本妻の子じゃないが元からこの屋敷に住んでいたプロシュートやホルマジオとちがって、ペッシは外から連れて来られ、リゾットに教育された。だから普通以上に、リゾットたち『正当な血筋』の者と、自分たち『正当じゃない血筋』の者の区別がはっきりしていた。ペッシは常に『正当な血筋』の者たちを恐れていた。
 そんなんじゃあダメだ。プロシュートは自然とペッシをきたえるようになった。
 ペッシは今はこの屋敷にいても、いずれ出て行かなければならない。その時にはもう、『家』や『兄弟』には頼らず、一人で生きていけるようになってなければならないのだ。きたえてやる必要があった。さいわいペッシには素地がある。
「ったく、今日からまた新しく『兄弟』が増えるってのに、オメーがそんなんで大丈夫か?メローネの話じゃオメーより年上らしいが、末っ子だからっていつまでも兄貴たちにイジメられてんじゃあねーぜ…」
「あ、そうだ、その新しい『兄弟』が来るから、もう夕食にいかなきゃ、兄貴」
「ああ…」
 すっかり忘れていた。この一本吸い終わるまで待てと告げて、プロシュートは煙を吐いた。
 ペッシが『兄貴』と呼ぶのはプロシュートだけだ。

究極の選択その2(御題) all


天国か地獄か

 メローネは生き物が嫌いだ。生ぬるくてぐにゃぐにゃしてて気味が悪い。
「ほーらよッ!」
「うわぁ!やめろ!うわぁあ~~~ああ……ぁあ…」
「キモチわりィ声だしてんじゃあねーよクソがッ」
 ホルマジオはわひゃひゃと笑いながら、抱きかかえた猫をもう一度メローネに向けて放り投げた。メローネは無様な声をあげながらソファの上でのたうち回っている。猫はといえば、メローネの素肌の腹の上に軽く降り立つも、動きまわる地面を嫌がり、テーブルの下に逃げてしまう。
 ホルマジオがそうやって猫をメローネに向けて放り投げるという遊びを始めてから、すでにそこそこの時間がたつ。
 ふだん生意気なメローネをいじめられる絶好の機会ということで、ホルマジオはそうとう楽しそうだが、同じくリビングでテレビを見てるギアッチョとしては、やかましいことこのうえない。
「ったくよォ~~猫ごときでヒャアヒャア叫んでんじゃあねーぜ……ギャングだろうがよォ、ギャングってのはもっとこう、こうじゃなくちゃなァ」
 ギアッチョが見てるのは日本のテレビアニメだ。妙にモニアゲの長い猿顔の男が、金銀財宝をたんまり抱えて、トッツァ~ンとかなんとか言っている。横にはおなじみナイスバディの美女だ。ギャングはこうでなくてはならない。
「ギアッチョそれ、ギャングじゃなくて泥棒だよ」
「泥棒じゃねえッ!怪盗だッ!」
「知ってんじゃあねーかよ…」
 ペッシの親切な横やりをはねのけるギアッチョに、イルーゾォは呆れた顔を見せる。
 猫がイルーゾォの足元にしっぽを絡ませてくる。イルーゾォがかがんで手をのばすと、するりと通り抜けてしまった。
「かわいくないやつ。ギアッチョみたいだな」
「ああー!?なんか言ったか!?」
「お~いミャアちゃんどこいったァ~?」
「あっちですぜ」
 いたいたと嬉しそうにホルマジオが、また猫を抱えて戻ってくる。
 逃げればいいのにソファに転がったままのメローネは、また気味の悪い悲鳴をあげた。
「覚えてろよホルマジオ!今度あんたの枕もとに、今までに関係もった女全員集めて並び立たせてやるからな!」
「ヒュ~♪そりゃ壮観じゃねーか。みんなで仲良くベッドインとしゃれこむぜ。そぉ~ら!」
「ひぃやあああぁぁぁ………」





愛情か友情か

 プロシュートがずいぶん熱烈な目線を向けている。
 相手がレディたちなら皆が花と顔をほころばせ頬をばら色に染めて恥じらいで目をうつむかせただろうが、残念ながらプロシュートの視線の先にある『それ』は、人間的な美醜など感知せず、すまし顔でガラスの容器におさまっている。
「プロシュート」
「ああ。買い物終わったのか」
 リゾットが横に立っても、プロシュートは熱烈な目線を『それ』から外そうとしない。
「……いくら道行く女性にはかたっぱしから声をかけるのがイタリア男の流儀だとしても、それはさすがに」
「冗談を言ってるんだな?リゾット?そうじゃなきゃ殺す。そうであっても殺す」
 ようやくプロシュートがリゾットの方を向いた。だが向かないでほしかったと思うぐらい、その両目は殺気に満ち満ちている。
 その殺気から逃れるためにリゾットはそっ…と視線を外し『それ』を見やった。
「高いな」
「アンティークだからな。だが美人だ」
 プロシュートがさっきから熱心に見つめていたのは、ショーケースにおさまった女の子の人形だった。
 フワフワのプラチナブロンド、青いガラスの瞳。不思議の国のアリスにでも出てきそうな、中世風のドレスを身にまとっている。
「なかなか出回らないレアもんらしくて、けっこう探してたんだが、まさかこんな街中で出会えるとはな。どうしても手に入れたいところだが、あいにく持ち合わせがない」
 なるほど。熱烈な目線の理由はそれか。
 リゾットはプロシュートという人間に敬意をもっていた。大胆不敵な行動力と、何者も説き伏せるカリスマ性、明晰な観察眼と研ぎすまされた直感。そういった人間的魅力に加え、己の主義主張によってつねに整えられた外面が、よりいっそうこのプロシュートという人間を圧倒的な存在として輝かさせていた。
 彼のもつポリシーや哲学というものすべてに、うなずけなくても、自分とはまったくちがった人間という意味で、リゾットはプロシュートを尊敬している。
 だからこそ。
 だからこそ、忠言すべきと思うのだ。プロシュートとはそこそこ長い付き合いだ。同じチームにあり、率いる者同士でもある。
 すべてのことを隠し立てせず開け放って分かり合おうとは思わないが、尊敬できる人間に対してこそ、敬意をもった忠告ができてしかるべきなのだ。
「プロシュート。人の性癖や趣向に口を出すのは本意じゃないが、さすがに人形というのは」
 言い切る前に思い切り胸ぐらを掴みあげられた。次にくるパンチとキックを予想してリゾットは構えをとる。
 そうすると頭突きがきた。避けきれず右頬に喰らう。さすがに痛い。
「目が覚めたか?」
「覚めた。どうやら寝ていたらしい」
「そうだろう。おまえの目、あいてんのか閉まってんのか、わかりにくいからな。今回はしょうがねぇなぁ~ってやつだ」
 プロシュートはフンと鼻を鳴らして胸ぐらを離した。
 リゾットはプロシュートと並んでショーウィンドウのドールを見る。ガラス玉の無垢な目。初めて赤ん坊を抱いたときのことを思い出した。赤ん坊の目は本当に、吸い込まれそうな、なにもない、『無』の瞳なのだ。それからいろんなものと出会ってたくさんの美と悪を知って、光り輝きあるいは暗く沈む。
「プレゼントにしちゃ対象年齢が幼すぎる気がするが」
「そりゃな」
「それに高価だ」
「レディに贈るモンに高いも低いもねえよ。それこそおまえ、年齢と高価さを秤にかけてたら、レディに嫌われるぜ。10歳でも相手は立派な女だからな」
「自分の娘をそんないやらしい目で見てるのか?」
「おめーのその発想のがいやらしいんだよこのマンモーニが」





愉快犯かサディストか

 人を抱きしめたときの心地よさをしっている。
 その肉体のもろさも。
「おかえりィ~」
 と言ってなぜかメローネが両手を広げ玄関で待ち構えていた。
 リゾットは、本気でなぜかわからなかったので、それにメローネが何かを企んでる気がしてしかたなくて、踏み出しかけた足を一歩引かせて、じっくりとメローネを観察した。
「なんだよ?」
 メローネは変わらず両手を広げ、廊下に立ちふさがっている。顔には気持ち悪いぐらいおだやかな微笑み。
 これは何かある。
「そこをどけ」
「おいおい、ヒドイんじゃねえか?せっかく仕事帰りをねぎらってるってのに」
「メタリ」
「おいおいおい!リゾット!」
 リゾットの声をかき消すように喚いてから、メローネはため息をついて腕組みした。これでいいんだろとばかりに、体を横によける。
 リゾットは相変わらずメローネに不審な目を向けながら、メローネの横を通り過ぎた。
 背後から、声がかかる。
「ボジョレーのワイン、買っといてくれたの、あんただろ?」
「…ああ、」
 ようやく合点がいった。フランスのボジョレーで造られる新酒・ヌヴォーは、この時期だけ楽しめる軽快な赤ワインだ。去年は忙しくて期を逃し、メローネがずいぶん残念がっていた。街中で偶然『ボジョレー・ヌヴォー入荷』の文字を見かけたとき、リゾットはふとそのことを思い出したのだ。
「安物だがな」
「ああ、なんだっていいんだよ。その年に収穫したブドウから造ったその年の新酒、てのが重要なんだ。覚えててくれてうれしいぜ」
 そう言って笑ってメローネが両腕を広げると、今度はリゾットも避けなかったので、メローネは機嫌良くリゾットをハグした。
「グラッツェ」
 メローネの手がリゾットの肩を抱き寄せ、布地に鼻先を触れさせる。これはメローネが本心からの感謝を表す仕草なのだと、以前プロシュートが言っていた。
 リゾットはハグを返さなかった。
 かわりに、片手でメローネの背中をぽんぽんと叩く。
 メローネは満足したようにリゾットから離れて、さぁはやくヌヴォーを開けようと笑う。
 リゾットは、人を抱きしめたときの心地よさをしっている。その肉体のもろさも。幼い頃、母に、父に、抱きしめられた記憶、弟妹たちからの親しげなハグ、それから、あの子へのハグ。酒酔い運転の車に轢かれ、無惨に切り裂かれたあの子の体。抱きしめた記憶。指の間から流れ落ちる血と肉片。
「ギアッチョのやつ、ずいぶん好き勝手に改造してやがるな。シートが倒しにくいったらねぇぜ」
 プロシュートがクラッチを強く踏み込んでブレーキをかけると、車は停車線ぎりぎりですべらかに停止した。ギアをローに入れ、赤信号に目をやりながら、プロシュートの手はすでに吸いかけの煙草に伸ばされている。
「給料の大部分をつぎ込んでるようだな」
「あいつが金使う対象なんて、車、服、漫画だろ」
「それだけ聞けば妙に男らしいが」
「最後のいっこさえなけりゃな」
 リゾットは助手席から窓に流れる夜の光を眺めていた。街明かり、尾を引く赤や黄色のテールランプ。ローマへの道は今日も大渋滞だ。
「このへんが混んでるのはいつものことだが、今日は異常じゃねーか?」
「事故でもあったのかもな」
「ああ、みてぇだな。あそこ」
 プロシュートの指し示す方を見やると、歩道に乗り上げフロントが大破した車が一台見えた。相手は車かバイクか、あるいは歩行者か。
 思い出そうとしなくったって、リゾットの腕には、記憶の淵からするすると、あの感触がよみがえる。抱きしめた両手からこぼれ落ちるなまあたたかい体。
「あーあ、こんなちんたら走ってたら眠くなっちまうな。高速でおもいっきりぶっ飛ばしてぇ」
「やめとけ。俺に抱きしめられたくなければな」
「ハ?」
 リゾットの腕はもう大事なものを抱きしめない。
 心地よさはじゅうぶんに知っていても。


special thanks. MasQueRade. title from

虚言の食卓 m.i


 リゾットに呼び出された時点でイルーゾォは嫌な予感がしていた。普段は特に勘がいいというわけでもないのに、こうゆう時に限って当たるのだ。不幸だ。
「メローネを監視してくれ」
「なんだよそれ」
 放たれた言葉の意味にゾッとした。
 リゾットは表情を変えず、机に座って腕を組んでいる。
「今から、俺がいいと言うまでだ。メローネが起きてるときも寝てるときも食事中も任務中もずっと張りついていろ。そして逐一俺に報告をいれてくれ。以上だ」
「待てよ、リーダー」
 本気で話を打ち切るつもりだったらしいリゾットが、まだ何か?という顔を向けてくる。イルーゾォの意図するところがわからない筈もないというのに。
「どうゆうことだよ。メローネの奴、なんかしでかしたのか?」
「組織を裏切っている可能性がある」
 自分で問いただしたとはいえ、真意をはっきり聞いてしまうと、それはそれで衝撃だった。
 けれど2、3秒考えたら、思う。
(…あいつならありうる)
 メローネの考えてることはよくわからないのだ。思考回路が複雑すぎる。と思ったら本当に脊髄反射で生きてるんだなと思うこともある。さっきと今ではまるで別人みたいなテンションになってる時もある。なりふりかまわず道ばたで機嫌良く大声で歌ってるかとおもったら、引きこもり10年目みたいな陰気な顔でソファに転がってたりする。
(正直、俺たちのことをちゃんと『チーム』の『仲間』とおもってるかどうかも、怪しい。とくに、俺のことは)
 イルーゾォはこのチームに入ってからこの方、メローネと気が合った瞬間が一度もない。れっきとした性格の不一致だ。
 他のみんなはわかりやすい。ペッシはマンモーニだしギアッチョはうるさいしプロシュートは怖いしホルマジオは適当だしリゾットは変だ。わかりやすい。メローネだけがわからない。
 強いて言うなら、意味不明、だ。
「一週間前、メローネに仕事をまかせた。男一人を殺す仕事だ。もちろんその仕事はなんなく完遂された。だが男の家には偶然、男の母親が来ていたらしい。メローネはその母親を匿ってる」
「それは……たしかなことなんだろうな」
「組織の上層部からのリークだ。なんにしろ、おまえがメローネを追跡すればわかる」
「組織裏切りの意志は、どう判断するんだ」
「それは俺が決める。とにかくイルーゾォ、おまえが見たままを報告してくれ」
 



 イルーゾォの父親は軍人だった。詳しくは知らないが陸軍の少尉だったらしい。
 短気で攻撃的な人だったから、よく何かにつけては母親をぶっていた。イルーゾォも子供の頃からしょっちゅうぶたれた。
 特に父親にとっては、一人息子のイルーゾォが、父親のように屈強な戦士としての振る舞いをまったく受け付けないことが腹立たしいようだった。
 この腑抜けが、それでも俺の息子か。もっと軍人らしく振る舞え。
 そう言われては殴られ蹴られ、時には家の地下室に閉じ込められた。
 父親はイルーゾォに軍人、しかも階級のある士官兵になってほしがったが、イルーゾォは軍人になんか死んでもなるもんかと思っていた。軍人なんか、人を殺して、家では女を殴って、平気でのさばる、最低な人間じゃないか。イルーゾォは軍にも国家にも階級にも興味はもてなかった。それよりもゲームや漫画や本が好きだった。
 母親は非力な人で、夫に殴られても泣くだけだったし、夫が苛立ちまかせに割った皿や花瓶の破片を黙って拾うだけの人だった。
 イルーゾォは彼女のことをかわいそうな人だと思っていて、自分が殴られてる時に助けてくれないことは恨んでたけど、いつからか俺が彼女を守ってあげなければならないなと思っていた。
「ジョルジョ?そこにいるの?」
「ああ、ここだよ。スープをあたためてる。食べるだろ?」
「ええ。ありがとう、ジョルジョ」
 鏡面の向こう、現実の世界で、老いた女がイスに、テーブルに、手を付きながら、台所の方に話しかけている。イルーゾォは鏡の中から、その様子を定点観測のように見ていた。
 ジョルジョは、メローネがよく使う偽名だ。ジョルジョ・アルマーニと思いきや、ジョルジョーネというルネサンス期の画家にあやかってるらしい。
 イルーゾォは絵画に詳しくないが、ジョルジョーネの描いた『ユディト』という絵のことはよく知っている。メローネがしょっちゅう話していたからだ。
「ユディトはとびっきり美しい未亡人で、敵軍が街を囲ったとき、敵軍の陣地に入り込んで、軍を率いていたホルフェルネス将軍に近づくんだ。ユディトの美しさに気を許した将軍は、彼女を酒宴に招く。ユディトは将軍が酔っぱらって寝てしまうのを待って、将軍の首を斬り落とした」
 絵では、薄紅の衣をまとった女が、右手に剣をさげ、さらした生足で男の首を踏みつけている。女の顔には、聖母のような静かな微笑がえがかれている。美と性、そして慈愛。
「さぁ、できたよ。クリームスープだ」
「とてもいい匂いだわ、ジョルジョ。スープのお皿はそこに…」
「いいから、座ってなよ。動きまわると危ないだろ」
「ふふ…長年暮らした私の家よ、見えなくったって何がどこにあるかぐらいわかってるわ」
 老女は全盲だった。
 皿の支度を手伝おうとする彼女を、メローネがやさしくなだめ、その手をとってテーブルへと導く。
 老女は微笑んだまま、素直にテーブルについた。そうしてメローネがスープを運んできてくれるのを、うれしそうに待っていた。
(あんな手つきも、できるんだな。やさしい…まるで息子が母親にしてやろうような)
 イルーゾォが知っているメローネは、ベイビィフェイスを生成したりドラッグをキメてる時の最高にハイな状態か、誰かと話してる時やひとりでテレビを見てる時にみせる恐ろしく冷めた顔のどちらかだ。どちらも暗殺者にはふさわしいが、母親を愛するひとりの息子にはほど遠い。
(全盲で、無謀なばあさんに、ほだされたとか?いくらなんでもそれはないだろ。自分の、母親と重ねてるとか…)
 イルーゾォは、メローネの母親なんて、知らない。今のチームに来るまでの話をすることもほとんどない。聞かなかったし、聞かれなかった。互いに互いへ興味なんかないだろうと、思っている。
 メローネが皿に盛ったスープを運んでくる。ひとつを老女の前に置いて、もうひとつを向かいの席に置き、自分も座る。
「本当にいい匂いだわ。あなた、料理が上手なのね」
「いつもはしないんだけどね。あんたには特別だ」
「まぁ…じゃあ、ゆっくり味わっていただかないと」
「いくらでも作ってあげるよ。地下室にバターも牛乳もじゅうぶんに保管してあったからね」
「ええ、そうでしょう。息子がシェフだったのよ。いまは別々に暮らしていたけれど、よくうちに来ては食糧を置いていってくれたわ。かあさん一人だと、買い物にいくにも大変だろうってね」
「やさしい息子さんだ。料理を作ってくれることもあった?」
「そうね、時々は作ってくれたわ。勤め先のリストランテで使ってる、とくべつな小麦粉を持って帰ってくれることもあったの」
「とくべつな?」
「そう、とくべつな。市販されてないものだって言ってたわ。だから大事にしまってあるのよ。まちがって使ってしまわないようにね」
 老女は食卓のうえで静かに手を組んだ。
 メローネも、それに習って手を組む。
「主よ、あなたの慈しみに感謝して、この食事をいただきます。ここに用意された食物を祝福し、私たちの心と身体を支える糧としてください」
 老女の声が、静かに鼓膜を打つ。
 小さなダイニングテーブルで、スープ一皿を前に、向かい合って座る老女と青年。メローネは両手を組んで目を閉じている。その姿は絵画のように神聖なものに思えた。
「父と子と、精霊の御名によって。アーメン」
 老女が十字を切る。メローネは手を組んだまま動かなかった。深くまぶたを閉ざしている。
 そのとき老女がふと、顔をあげた。
 イルーゾォは息を呑んだ。メローネは目を伏せている。見てるのは鏡越しのイルーゾォだけだ。
 老女の、ふだんは閉じられた両目が開いて、全盲者特有の、ガラス玉みたいな透明な瞳が、メローネを見ている。
 いや、見えてはいないはずだ。それでも、その瞳は確実に、自分の目の前に座って祈りを捧げるメローネの姿を、映しとっていた。鏡のように。
「そして主よ、この食事をともにできる私たちが、私と、このジョルジョが、いつもあなたの愛のうちに歩むことができますように。私たちの罪をゆるし、私たちを悪よりお救いだしください」
「…………」
 メローネが、ゆっくり顔を上げる。
 老女は透明の瞳で、メローネを映し出している。ユディトのような微笑をたたえながら。
 メローネは、さっきまでのやわらかい表情をなくし、冷たい皮をかぶっていた。
 まちがいなく暗殺者の顔だった。イルーゾォは、それを見たとき、メローネに組織を裏切る意志はないと、わかった。




 料理に使う分厚い包丁から、赤い血が幾筋も滴っている。
 そういえばイルーゾォは、メローネが人を殺すのを初めて見た。メローネ自身の手で、握ったナイフで、腹部をちょうど三回。
 血を噴き出して倒れた老女をまたいで、メローネは老女の寝室へ入っていった。
 壁にはささやかな絵画が飾ってある。ルネサンス期の聖書をテーマにえがかれたものだ。それを壁から外すと、小さな隠し扉があった。
 ネジを回し、扉を開ける。壁に穴を掘っただけの、簡素な隠し収納庫だ。片手を突っ込んで探ると、すぐに目的のものが見つかった。何個かの袋に詰められた、白い粉。
「麻薬か?」
「そう。ごく高純度の。老人なんか一発であの世行きだ」
 ベッドの脇におかれた小さな鏡台から姿を現したイルーゾォに、メローネは平然と応えてみせた。最初からイルーゾォの存在を知っていたかのように。いくらメローネでも鏡の中の様子が見れるわけじゃないし、そんなことありえないのだが。
「どうゆうことなんだ。これは組織の命令か?」
「最初っから俺の仕事の目的はコレさ。隠し場所はシェフの男しか知らなかった。まさか母親の家に隠してるなんてな。サイテーの息子だぜ」
「じゃあ、なんで俺はおまえの見張りなんかやらされたんだよ」
「そりゃあ、そのまんまの意味だろ。組織は俺の裏切りを疑ってた。それだけのことだ」
「リゾットは…」
「さあね、それは知らない。でも俺の監視におまえを付けたってことは、おまえへの信頼だろ。よかったな」
「…なんにもよくねーよ」
 組織はメローネの仕事の目的を知っていた。それを命じたのはパッショーネ自身だから。それなのに同時に、メローネが裏切る可能性も疑っていた。それほどにパッショーネは、自分たちのチームのことを信頼していないということだ。
 ダイニングに目をやると、倒れた老女の足が見えた。血の海がじくじくと広がっている。
 さっきまでそこで、老女とメローネは、スープを作り、神に感謝し、あたたかい食卓を囲っていたというのに。
 メローネが老女に向けていた表情が、ぜんぶ嘘だとは思えない。
「俺は、ずっと母親似だと思ってたんだけど」
「ん?」
 粉の入った袋を手に、メローネがイルーゾォの方を見る。イルーゾォは、光のもれるダイニングに目をやったままだった。
「最近は、じつは父親似だとおもうようになった。軍人だったんだ。俺は軍人なんか人殺ししか能のないやつらだとおもってた。それって、今の俺とたいして変わらない。俺も、おまえと同じように、人を殺す。そんな酷いことできる人間が、母親に似てるはずなんてない。ひどい男に似たんだ。そのシェフの男だってきっとそうだ。あのばあさんになんか、ちっとも似ていないんだろう。きっとそうだ」
「…………」
 メローネは黙ったまま、玄関に向かった。廊下には姿見があった。暗い廊下に立って、メローネはイルーゾォの方を振り向いた。
「俺も鏡に入るの許可してくれよ。はやく帰って寝たい。麻薬も、さっさと組織に届けねぇと、俺は裏切り者扱いで殺されちまう」
 イルーゾォはメローネのそばまで歩み寄った。姿見に入りながら、メローネを許可する、と呟く。鏡面が波のように揺れる。
 一度だけイルーゾォは振り向いた。
 粉の入った袋を手に、メローネが突っ立っている。
「おまえは、どっちに似てた?メローネ」
「おかあさん」
 嘘をついた。メローネは嘘をついた。ちっとも母親には似てなかった。それでもよかった。嘘でもよかった。

パリの悪魔 r.p.m.g


 ナタリーにとってパリコレ取材の仕事は幼い頃からの悲願だった。フランスの片田舎で雑誌記者になってから、この日をどれほど待ちわびたか。週末のファッション関係者のパーティーには必ず顔を出し、カメラマンや編集アシスタントと少しづつコネをつくり、やっとパリコレ行きの切符を手に入れた。
 とはいえ、ただの雑誌記者であるナタリーが、パリコレ参加者たちのパーティーなんていう華やかな場へ招かれるわけがない。ナタリーはパーティーが行われてるパリ7区の高級ホテルの厨房の下男に金を渡して、裏口からどうにかこうにか潜り込んだ。
(うわぁ……別世界!)
 パーティー会場はあふれんばかりの人だ。その誰もが、ヨーロッパの生んだ珠玉のトップブランドを身にまとっている。シャネル、ディオール、ヴェルサーチ、カルバン・クライン、ジミー・チュウ、ナルシソ・ロドリゲス…。
(まぶしすぎてぶっ倒れそう!)
 目立たないように壁際でシャンパングラスを傾けながら、ナタリーは目の前を行き交うきらびやかな男女たちの姿をうっとり眺めていた。ナタリーが憧れつづけてきた世界が、すぐそこにある。
(…あら)
 そうやって目を巡らしていると、向かい側の壁でナタリーと同じようにひっそり佇む二人組に気づいた。
 ひとりはドルチェ&ガッバーナのダークスーツをまとい、きっちり整えられたブロンドがきれいな頭のラインを映し出している。もうひとりはフェラガモのロングニットで露出の多いトップスを覆い、ややくすんだ長いブロンドを肩に流している。どちらも身につけているのはイタリアのブランドだ。
(コレクションモデルかしら…)
 権威ある雑誌編集者や有名カメラマン相手なら、ナタリーごときが声をかける隙もないが、モデルなら取材できるかもしれない。ナタリーは覚悟を決めて、ドレスを軽く正し、人の群れを避けながらゆっくり向かい側の壁へ向かった。
 イタリアンブランドを身にまとった二人は、ときどき互いに耳打ちして言葉を交わしてるらしかった。
 ナタリーには、彼らの周りに誰も群がっていないのが不思議だった。けれどそこにはまるで透明のバリケードがあって、それが彼らを他人の目に触れないよう魔法をかけてしまっているかのように、行き交う誰もが彼らの前を通り過ぎていく。
 それがナタリーにとっては余計に特別なことに思えた。
(どうしようかしら…イタリア語で話しかけるべき?でもイタリア人って決まったわけじゃあないし、私もあまりイタリア語には自信がないわ。英語か、おもいきってフランス語で…)
 胸を高鳴らせながらナタリーが、あと数歩で二人に声をかけられる距離に辿り着く直前、突如ナタリーの目の前に人影が飛び出してきた。
「どけッ!!!」
「きゃあっ!」
 衝撃でナタリーは後ろに転びそうになったが、尻餅をつく前に腕をぐんっと引っ張られた。
「悪い。大丈夫か」
 イタリア語だった。フェンディの革靴をはじめ、こちらもイタリアのブランドをまとった長身の男だ。銀髪のようにみえるプラチナブロンド。ナタリーは慌てて立ち上がった。
「あ、ありがとう!大丈夫!ええっと…」
「そうか。じゃあな」
 Chao、というのは聞き取れた。ナタリーは「待って!」と思わずフランス語で叫んだが、男は一切耳を貸す様子もなく人混みにまぎれていってしまった。男の向かった先には、さっきナタリーの目の前を駆け抜けていった、巻き毛の若い青年の姿。彼の通ったあとは、なぜか妙に冷たい気がした。
「なんなの…」
 しばらく呆然としていたナタリーだが、ハッと我に返って壁際を振り向いた。目当ての二人組は姿を消していた。




 話は2週間前にさかのぼる。
「よぉリゾット、ニューヨークでの仕事はない?」
「ない」
 パソコンに向き合うリゾットの横から、メローネがしつこく画面を覗き込んでいる。リゾットは気にせずあしらっているが、見ているほうがうっとおしく思うぐらいだ。
「7番街のファッションアベニューに行きたいんだけどなぁ~もうすぐパリコレだろ?」
「それがオメーになんの関係があるっつーんだよ、ええ?」
 ソファに転がってアメリカンコミックを読んでいたギアッチョが、苛々と声をあげる。一人掛けのソファに座るプロシュートは「また始まったぜ」とさりげなくテーブルの上の灰皿を避難させた。
 メローネは肩越しにギアッチョに目をやって、フンと鼻を鳴らす。
「古着好きのぼっちゃんは黙ってろ。おまえには一生縁のない話だろうからな」
「ああー?テメーみてえな変態に着られるブランド品の身にもなれってんだ、マリオ・プラダがあの世で泣いてるぜ!」
「本当にいいファッションてのは着る人間を選ばない。俺やおまえみたいな薄汚ぇギャングだって、イタリア王室さながらに仕立てるのがプラダの魔力さ」
「テメーがファッション語るんじゃねーよ気色悪ぃ!」
 実際のところギアッチョもファッションにはこだわりのある方で、ブランド物よりもアメカジ風の古着で上手くコーディネートする。メローネとは単に趣味が合わないだけだ。
「オメーよぉ、俺に説教とはいい度胸じゃねえか…オメーのその穴だらけの服よりもっと涼しくしてやるぜ、凍え死んじまうぐらいによォ…」
「その前に鏡を見てきたらどうだ?頭にでっかいカタツムリが住み着いてるぜ」
「こうゆう髪型なんだよクソがァァーーッ!!!」
「やかましいぞおまえら。やるなら外でやれ。プロシュート」
 リゾットの声に仕事の話が始まるのを感じ取って、メローネはあっさり身を引いた。かわりにプロシュートが席を立ってリゾットの前に歩み寄る。
「国外だがかまわないか」
「ああ。どこだ?」
「パリ」
「同行するぜ!」
 去りかけていたメローネがすごい勢いで戻ってきた。その動きを予想していたプロシュートはメローネの脇腹にニーキックを入れる。
「おめーはお呼びじゃねえ」
「いいや、なんといわれようと一緒に行く、飛行機の車輪につかまってでもな」
「いい考えじゃねーか、パリに着く頃にはそいつも挽き肉になっちまって、これで世界は平和ってこったな」
「ギアッチョ、おまえもだ」
「はぁぁ~!?」
 自分は関係ないとばかりに揶揄を投げてきたギアッチョだったが、リゾットの言葉に心の底から嫌そうな声をあげる。
「2週間後のパリコレの裏で、ヨーロッパの主立ったギャング組織の会合があるのは知ってるな。パッショーネのボスは当然参加しないが、幹部どもがパリに集結する」
「その護衛ってことか?」
「護衛なら親衛隊の仕事だろ。俺らの本業は『暗殺』だぜ」
「もちろん。連中の動きに俺たちは関係ない。やることは『殺し』だ」
「誰をやるんだ」
「フランス人ファッションデザイナー、アルゴ。スタンド能力者だ」
 リゾットが差し出した写真には、坊主頭に縁の太い眼鏡の男が写っている。ファッション業界にはありがちな、少しゲイっぽい雰囲気のある顔だ。40代ぐらいだろうか。
 プロシュートが受け取ってしばらく眺めたあと、写真を渡されたメローネは一瞬見ただけでもうそれ以上見たくないとばかりに即座にギアッチョに回した。逆にギアッチョは穴のあくほど写真を凝視する。
「こいつ知ってんぜ」
「だろうな」
「どうゆうことだ?」
「元パッショーネの暗殺者だ」
「暗殺者だと?それがなんでパリコレのファッションデザイナーなんかやってる」
 プロシュートの疑問は当然だ。組織を抜けるというのはイコール死を意味する。とくに暗殺専門のチームにいたならなおさら。ボスが組織の犬に付けた首輪を簡単に外すはずがない。
「時期的にはモレロと同期の男だ。モレロってのは俺の前任のチームリーダーだった男だが、モレロがリーダーになる前にアルゴはフランスの組織に引き抜かれた。能力を『買われて』な。文字通り金の取引があったらしい」
「なんでそんな、昔のチームの人間をギアッチョが知ってんだよ」
「関係ねーだろうが、今回の仕事にはよォ」
 メローネの視線をあからさまに避けて、ギアッチョはそっぽを向く。わかりやすく話したくないらしい。
「アルゴがファッションデザイナーをやっているのはスタンド能力の特性を活かしてのことだ。ギャング御用達のデザイナーってわけだな」
「いやな予感がしてきたぜ」
 言葉ほど嫌な顔もせずプロシュートは肩をすくめる。
「さすが勘がいいな。パリコレのレセプションパーティーに着ていく服を、アルゴに仕立ててもらう」
「そこで殺すのか?」
「いや、能力を見極めてからだ。実際にやるのはパーティーの時になる」
「めんどくせェ…」
「だからギアッチョのかわりに俺が行ってやるよ」
「なんでそこまでして行きてぇーんだよテメーはよォ」
 ギアッチョが睨みやってもメローネは鼻で笑うだけだ。おまえだって秘密にしてることがあるだろうと。
 プロシュートとメローネが部屋を出て行ってから、ギアッチョはリゾットの前に立ち、二人の出ていった扉を見た。
「なんでアイツ、あんなにパリに行きたがるんだ?ファッション好きとはいえ異常じゃあねーか?」
「さあな、フランスが故郷なんじゃないのか」
「そうなのか?」
「フランス語に詳しいからそうかと思ってたが」
 リゾットは手元の煙草ケースから一本抜き取って銜える。その様子を眺めながら、ギアッチョはアルゴの写真をリゾットの目の前に放った。
「あんた知ってんのか。コイツと俺のこと」
「モレロから聞いてな」
「プロシュートのやつは」
「モレロがしゃべってなければ知らないだろう。あいつはモレロがチームリーダーになった後でうちに配属されてる。だからアルゴとは面識がない」
「アルゴは俺がやるぜ」
「私怨ならばやめておけ」
「ちがうね。俺は『仕事』でしか殺しはやらねぇ…メンドーだからなァ~」
 ギアッチョが机の上の写真を指ではじくと、一瞬で氷漬けになって粉々に砕け散った。

× CLOSE

カレンダー

03 2024/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30

リンク

カテゴリー

フリーエリア

最新CM

[01/02 クニミツ]
[02/16 べいた]
[02/14 イソフラボン]
[01/11 B]
[12/08 B]

最新記事

最新TB

プロフィール

HN:
べいた
性別:
非公開

バーコード

RSS

ブログ内検索

アーカイブ

最古記事

P R

アクセス解析

アクセス解析

× CLOSE

Copyright © スーパーポジション : All rights reserved

TemplateDesign by KARMA7

忍者ブログ [PR]


PR