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純潔の炎 p.m


 仕事の終わったあとの一服は最高だというが、メローネもおおむね賛成する。メローネが煙草を吸うのは、仕事直後の、少しの疲労感と、待ち合わせの時間を持て余した時だけだ。だから機会は少ない。体に匂いが染みつくこともない。
 バイクにまたがって久しぶりの煙草を味わっていると、夜道から聞き慣れた音が近付いてくる。石畳を叩く革靴。これはうまくいった時の音だ。
「首尾は?」
「ディモールトベネ、だ。おまえ風にいうとな」
 カチッと闇に火花が散る。が、何度すってもいつものように火が灯らない。舌打ちが聞こえた。
「メローネ。火をくれ」
「あいにく俺もガス切れ」
「いい、こっちでもらう」
 夜の闇から溶け出してきたプロシュートが、唇にくわえた一本をメローネの吸う煙草に寄せて、強く吸う。ジジ。触れあった先端がひときわ明るくなり、そして離れる。メローネから火を移しとったプロシュートは、一吸いしてため息みたいに紫煙を吐いた。うまそうだ。
「なんだ?」
「え?」
「顔が笑ってる」
「マジ?」
 思わずメローネは口元に手をやった。無意識に笑っていたらしい。我ながら気持ち悪い。
「いや……久しぶりだなと思って。煙草吸うの」
「常習じゃねぇからな、おまえ」
「仕事終わりに一本だけだ。…ほんと、ひさしぶり」
 その言葉が何を意味するか、わからないプロシュートではなかった。ある時期を境に、暗殺の任務は確実に減っている。干されている、といった方が正しい。
 あの時から。ソルベとジェラートがボスの素性について調べだし、捕まって殺されたあの時から、ボスにとってプロシュートらのチームは、いつ飼い主の手を噛むか知れない危険な飼い犬となった。ボスからの要求はより高く、難解になった。同時に任務が激減した。当然、渡される報酬も。
 飼い殺されている。
 それはチームのメンバー全員が感じていることだった。首輪をはめられ、今にも窒息しそうなほど。
「実際、これ以上報酬が減ったらやってけねぇな。食い扶持減らすために、首切られたりして」
「ありえねぇ。俺らがチームから抜ける時は死ぬ時だけだ」
「物理的に、首を切られた時とか?」
「メローネ」
「だって、考えてもみろよ、プロシュート」
 バイクのシートに沿って背を反らせ、メローネは夜空に向かって煙を吐いた。
「たとえばあんたやホルマジオなら、こんな仕事やってなくったって、カタギの世界でやってけるんだろうさ。だけど他の連中を見てみなよ。ギアッチョはブチギレのガキで社会じゃ相手にされないし、イルーゾォは自分の世界から出てこれない。ペッシは自分の面倒もみれないマンモーニ。リゾットはなんとかやってけそうだけど、あれはダメだ、暗殺者として出来上がりすぎてる。それに俺。俺なんか即刻逮捕で一生刑務所か、数年たってからブチ込まれてロープで首くくられるかどっちかだ。悲惨だね」
「言っただろ。組織が俺たちを野放しにするなんてありえない。だからそんなのはありえねー未来だ」
「じゃあプロシュート、もしボスが死んで、組織が解体したら、その後、あんたどうするんだ?」
 メローネが視線を向けると、プロシュートはまだ短くもなってない煙草を捨てて、靴で踏みにじった。かすかな火種が石畳みに押し付けられ、消える。
「さぁな…俺はべつに組織を乗っ取ろうとも思わねぇし、ボスになりたいわけでもない。これまで通りにやってくんだろうよ」
「ギャングを続ける?」
「おまえは足を洗いたいのか?メローネ」
「それこそありえない。自分では天職だとおもってるぜ」
 メローネは短くなった煙草を、地面に落とした。石畳の隙間に吸い込まれて、炎は消える。辺りはまた、暗い藍色の闇に包まれる。
「金が欲しいな。そう思わないか、プロシュート。金さえありゃあなんだって買えるし、なんだって食える」
「てめえがそう思うならそうすりゃあいいだろうが」
「俺はボスを裏切らないかって話をしてるんだぜ」
 プロシュートはゆっくりと視線をメローネに繰った。よく研がれたナイフでじっくり腹を割くようだった。
「色気のねぇ誘い文句だ」
「ソルベとジェラートがさ、先走った行動しやがって、余計に俺らの立場が悪くなっただろうがって最初は思ってたけど、あいつらが何か仕出かす前から、俺らチームはボスにとっちゃあ厄介モンだったんだ。ボスが行動に出る前に、あいつらは動いただけだ。そう思った。今だって徐々に、首輪を締めあげられてる。いつか俺らはボスに殺されるんだろう。任務で死ぬのも嫌だけど、ボスに殺されるのはもっとダサい」
「ちがいねえ」
 メローネが立てた指でちょいちょいと手招く。言われなくてもプロシュートは石畳を削る鋭さでメローネに近寄った。
 バイクのボディに身を寄せる。メローネは、プロシュートの耳に内緒話をするように言葉を吹き込む。
「あんたはノッてくれると思ってた」
「ボスだろうがなんだろうが、俺を殺そうと向かってくる奴は全員殺すさ」
「たのもしい。あんたはそうでなくっちゃあ。…あのマンモーニはどうする?」
「自分で決めるだろう。あいつに任す」
「足手まといになんないかって、言ってんだけど」
「ペッシが?足手まとい?」
 プロシュートは鼻で笑った。横目でメローネを見る。
「せいぜいテメーの心配してろ。優秀なベイビィを育てとくんだな」
「あんたかリーダーが血液をくれたら最高にベネなんだけどなぁ」
 バイクにまたがったままメローネが両頬にキスを寄越してきたので、プロシュートは手を背にまわしてゆるい抱擁を返した。メローネがこんな風に妙に親しげな仕草をしたがる時は、本心からの感謝を表す時だとプロシュートは知っている。
「チャオ」
 片手を軽く振ってメローネはバイクを発進させた。闇夜に消えていく左右ふぞろいの淡い髪色を見送って、プロシュートは新しい煙草をくわえた。が、火がないのを忘れていた。舌打ちひとつ、ジッポをしまって煙草はくわえたままメローネとは逆方向に歩き出す。
 ボスを裏切るか裏切らないかは、プロシュートにとってそこまで重要ではない。おそらくチームのリーダーという立場にあるリゾットなら、部下をもつ以上、それは重大なる決断となるのだろうが、プロシュートには関係のないことだ。
 なぜならプロシュートは自らの意志でこの道を選び取り、いつだって地面を削るような鋭さで歩いてきた、ボスへの忠誠でも信仰でもない、プロシュートの胸にはいつだってたしかな炎があって、その炎が照らしだすひとつの方角だけを目指して走った。そう、たったひとつなのだ、いつだって。そのたったひとつの向いている方角がこの道なのだから、これ以外はありえない。メローネは、ホルマジオやプロシュートなら、カタギの世界でもやっていけるなどと言っていたが、そんなことは世界が一巡したってありえないだろう。胸に灯る炎が照らす暗がりの一本道、これがプロシュートの選ぶただひとつの道であり、プロシュートはプロシュートのまま死ぬのだ。

この世でいちばん高価なもの all


「この世でいちばん高価なものはなんだと思う?」
 クリームソースのペンネをフォークの先に上手にハメたメローネが、魔法使いの杖のようにフォークをくるくる回す。
「やめろテメェーソースが飛び散るだろうがッ!」
「ジェントリーウィープスで固定しなよ」
「とんだスタンドの無駄遣いだなァオイ」
「腹いっぱい食うためにリトルフィートでちっちゃくなって飯食うアンタには言われたくないだろ」
 10センチ大のホルマジオを横目にイルーゾォはまだ前菜のサーモンのカルパッチョをつついている。思いのほか食べるのが遅い。あまりに遅いのでたまに店に置いていかれることもある。
「どーだっていいけどさ、俺の質問聞いてた?」
「あァー?聞いてた聞いてた」
「よォーし復唱してみろイルーゾォ」
「なんで俺が!?俺関係ないだろ!」
「いちいち鏡に逃げてんじゃねェーッ!テメェーは早く飯を食えッ!」
「『ジェントリーウィープスで固定しなよ』だろォ〜?」
「そこじゃないそこじゃない」
 昼下がりのテラスには容赦ない太陽光線がふりそそぐ。それをまるで吸血鬼のように毛嫌いして、メンバーはホール端のテーブルに陣取っていた。客の姿は彼ら以外にひとりもない。客も、店の者も、ひとりも。
「この世でいちばん高価なものはなんだっつう話だよ。ハイじゃあホルマジオから。意見言って」
「あー?しょぉーがねぇなぁ…そりゃあ金じゃねぇーのか?」
「ちがうね、ぜってェーちがうッ!金は相場で変動するだろォーがッ」
「なるほど。じゃあダイヤモンドとかも」
「許可しない」
「俺はおまえの食べ残しを許可しない」
「やめろォ!レモンのかかったトマトは嫌いなんだ!」
「おいメローネ、あんまりいじめてやんなよォ?余計イルーゾォが飯食うの遅くなるだろォーが」
「ディモールト正論だぜ」
 ギアッチョはさっきから苛々と水の入った瓶を人差し指で叩いている。会話がちっとも進まないせいだ。いつもの事といえばいつもの事だし、だからギアッチョもいつも通り苛々している。
「イルーゾォの野郎とレモンのかかったトマトはどーだっていいんだよォ、金や石ッコロは相場で価値が変動するからダメ、じゃあ何がいちばんだっつぅーんだ?クソッ、くだらねェ質問だが正解がハッキリしないのは余計イラつくぜッ」
「メローネおまえはなんだと思うんだよ?」
「そうだな…むずかしい質問だが」
「テメェーが言い出したんだろォーがッ!!」
「キレんなよォ〜ギアッチョ」
「絵画とか彫刻とかじゃあないのか?」
「いいとこつくね、イルーゾォ。けど今俺がしゃべってんだよ黙れ」
「ヒィッ!フォーク!刺さってる刺さってるゥッ!」
「たしかに美術品は時間がたつほど高値がつくこともあるよなァ。死んでから価値がでる画家も多いことを考えると妥当かもしれねーぜ」
「相場が変動するって意味じゃあ金や宝石と変わらないとおもうが」
 その瞬間、テーブルにつく全員の目が一点にそそがれた。
 つまり、突然会話に割って入った、カルボナーラをグッチャグチャにかき混ぜているリゾットに。
「食い方汚いリーダー」
「これがいちばんうまいんだ」
「カルボナーラの半熟卵ってのはよォ、もっと女扱うみてーに繊細に扱うべきモンじゃねぇーのか?」
「グッチャグチャのドッロドロ。リーダーの女性の扱い方が目に見えるようだ」
「黙ってろ素人童貞」
「リーダーって丼とかもぜんぶ具材ごと混ぜちゃうタイプだろ」
「それがいちばんうまいからな」
「わかってねぇなァ〜〜見目の美しさも大事なんだよ料理ってのはよォ。三色丼は三色だからこそ三色丼だ、それを混ぜちまったら三色っつーかただのミックス丼だろうがよォ。だいたい三色ってなんだ三色って、ライスの白合わせたら4色あるじゃねーかクソッ」
「丼ってのは上にのっかった具材がメインだからライスは色に換算しないんじゃあねーの」
「そんなわけあるかッ!ライスあってこその丼だろォーがッ!」
「それであんたはなんだと思うんだ?この世でいちばん高価なもの」
 地鳥のマリネを頬張っていたせいで油ぎったフォークをホルマジオがリゾットに向けたことで、再びみんなの視線が黒ずきんの男に集まった。
「人間だな」
 そしてその回答に全員の目が点になった。
「マンマミーア!」
「意外!それは人間」
「マジかよ?」
「人間ほど尊いモンはねえってか?」
「リゾット・ネエロともあろうモンが…見損なったぜ…いやここは拍手喝采すべきところか?」
「オーブラボー」
 よくわからない拍手まで受けてしまったリゾットだが、本人はとくに気にする様子もなく、グチャグチャに混ぜたパスタを丹念にフォークにからめとった。
「単純に考えて腎臓ひとつ売れば30万ほどになる。健康体ならなお高い。生死を問わないとして人間の体からはぎ取れるものすべてはぎ取れば、心臓肝臓食道胃腸、網膜頭髪各部皮膚、全身にわたってかなりの価値だ。人間社会という価値基準をもとに考えるなら、金や芸術品みたいなモンよりよっぽど安定した高値が期待できるだろう」
「てめーそれは食事中にする話か?リゾット」
 さっきとはちがう意味で目が点になっていた全員の心の中を代弁したのは、ようやく現れたプロシュートだった。背後にいつも通りペッシもいる。
「おー遅かったじゃねーかよ」
「待ちくたびれたぜ。テメー順番的にはメローネより先に着いてるはずだろォーがよォ」
「うるせぇ。このマンモーニが体バラバラにされちまったせいで、ぜんぶ拾い集めんのが大変だったんだ。川に流されて魚に食われちまうところだったぜ」
「ごめんよォ兄貴ィ…」
「おめーはいつまでたっても手がかかるなぁ、ええ?ペッシよォ」
「なに食べる?プロシュート。タダでいくらでも食べれるぜ」
「ハッ、タダだと?まるで天国じゃねーか」
「まったくだ」
 プロシュートとペッシが席についたところで、リゾットが食前酒のグラスを掲げた。
「乾杯しよう」
「いいな」
「何にだ?」
「俺たちチームに」

珍客乱入 r.p.ps


 ペッシには幼い弟妹が6人いて、家が貧しかったから、10歳になる頃には奉公にだされた。金持ちの屋敷の下働きだ。あとから知ったが、実際には奉公というより奴隷契約だった。両親はペッシを金で売った。
 その家の主人は古くからの貴族の末裔で、作法に厳しく、また身分差にも厳格だった。少しでも仕事を怠ったり、聞いたことにすぐ答えられないと、容赦なく鞭でぶたれた。ペッシは生来どんくさいところがあって、しょっちゅう主人からも使用人頭からもぶたれていたから、いつもびくびくしていた。何年もの間、厨房の薄ぐらいすみっこで、屋敷の者たちが食べ残したシチューをなめる日々がつづいた。


 リゾットにとってそれは非常にめずらしい任務で、なぜならリゾットはその能力上、単独行動がいちばん適していたし、これまで与えられた仕事もほとんどリゾット一人でこなしてきた。
 しかし上司から命令されたのでは逆らいようもない。『何故』と聞いてもいけない。リゾットの属するチームのリーダーである男は、無為な質問をされるのをひどく嫌う。
 ミラノ郊外にあるターゲットの館に着いたのは昼を少しまわったぐらいだった。
「下調べを済ませちまってから昼飯にしようぜ。街道沿いにトラットリアがあった」
 言ってこっちの返事を待つそぶりもなく、プロシュートは車のドアを開けて歩いていってしまった。せっかちな奴だ。チームの在籍年数でいえばリゾットの方が長いが、地位でいえばリゾットとプロシュートは同格だ。万が一の時はリゾットの命令に従うべきだが、プロシュートははちゃめちゃに勘のいいところがあって、万が一の時の判断を誤らない。
 リゾットは林の中に車を停め、そのまま景色と同化した。


 プロシュートがリゾットと初めて会ったのは今から一年前、変なフードをかぶってると思ってたら、変なネックレスをしてると言われた。思わず胸ぐらを掴みあげたら盛大に剃刀を吐き出させられた。
 パッショーネで、こんなに躊躇なくスタンド能力を使ってみせる奴は初めてだったので、むしろそれに驚いた。普通は能力は隠す。同じ組織の者だろうと。リゾットによると、彼の能力の重要な部分は、剃刀やはさみを造りだせるというところじゃないから、ためらいはないらしい。
 実際メタリカがもっとも優れているのは、吸い寄せた鉄分によって景色にとけ込めるところだ。姿を消せるうえ、鉄分から凶器を生み出せるとなると、これほど暗殺に向いた能力もあるまい。偵察としてもじゅうぶんだ。
「3日以内にモレロを殺る」
 湯気のたつパスタをフォークでかき混ぜながらリゾットが言った。
 プロシュートはちぎったパンを口に放り込んだばかりだったので、噛みきる間、しばらく向かいに座るリゾットを観察した。なにが変わったというわけでもなく、いつもどおりのリゾットだ。パスタを具材ともどもグッチャグチャにかき混ぜて食べるリゾットだ。
「上からの命令か?」
「幹部からのな」
「おめーがやんのか」
「補佐をたのむ」
「補佐だと?」
 ハッとプロシュートは鼻で笑う。
「万一の時はおまえにチームをまかせる」
「そりゃあ光栄だ。せいぜい生き残れよ。リーダーならあんたのが向いてる」
 リゾットが手を止めてこちらを見てきたので、プロシュートは片眉をあげた。本心を言ったまでだが。なんでそんな顔をする。
「おまえは面倒見がいいし、人を率いる力もある」
「俺みたいな口うるせぇのがリーダーになったら部下がかわいそうだろ」
「そこは自覚あるのか」
「うるせぇな。万一の事なら他をあたれ。ホルマジオとか」
「たしかにあいつは能力のわりに器がでかいな」
「そーだろそーだろ」
「だがおまえは年のわりに老獪してるからそこが向いてる」
「おめーよぉ、モレロ殺ってリーダーになんのが嫌なのか?嫌じゃねえのか?ハッキリしろ」
 今のプロシュートらのチームのリーダーであるモレロは黒い噂の絶えない男だ。組織の外にも内にも敵が多い。いつか殺す時がくるだろうと思っていたが、リゾットがその命令を受けたのなら、組織は次のリーダーにリゾットを選んだということだ。
 街道のトラットリアを出ると、夜の11持をまわっていた。徒歩でターゲットの屋敷に向かう。
 昼間に下調べは済ましてるので、庭園にはなんなく入り込めた。今回は暗殺の前に裏づけをとらなければならない。めんどうだがそれが仕事だ。


 厨房の勝手口を出たところに納屋がある。ペッシはその壁にもたれかかってチーズのかけらを噛んでいた。石みたいに堅いが、うまい。それに食べ物は堅い方が腹もちがいいってことを、ペッシは幼い頃からの経験で知っていた。
 必死に味わおうとおもって何度も何度も噛んでるうちに、チーズは口の中でなくなってしまった。さびしくなって、空を仰いだ。今日は夜空が曇っていて肌寒い。無性に家や母親が恋しくなった。
 使用人が寝泊まりしている屋敷の離れに戻ると、廊下に人が倒れているのが見えた。暗くてよくわからないが、ペッシと同じ年頃の掃除夫の少年らしい。
「おい、どうしたんだよ…こんなところで寝てちゃあ、親方にしかられるぜ…」
 近寄って小さく声をかけても、ぴくりともしない。でもこのまま放っておいたら、こいつはまちがいなく罰を受けるし、見逃したペッシも鞭で叩かれる。
 ペッシは仕方なく少年の肩をつかんだ。
「おいってば…」
 強引に仰向かせたとたん、ペッシは悲鳴をあげかけた。シワだらけの老人だった。歯が抜け落ちて床に転がっている。
(誰だコイツ…!?)
 見覚えのない奴だった。でもよく見たら、見覚えのある掃除夫だ。でもそんなはずはない、掃除夫はペッシと同じ年頃なのだ。目の前にいるのは死にかけのジジイにしか見えない。
 その頃になってようやくペッシは、まわりの雰囲気が異様なことに気付いた。ふだんから自覚していることだがペッシは勘がにぶく、物事の察しが悪い。だが人の感情には敏感だから、余計にびくびくしてしまって、相手を苛つかせる。
 ペッシがもっと物事に注意深ければ、屋敷に入る前に玄関の花壇がすべて枯れきっているのにも気付いただろうし、庭で放し飼いされている番犬たちが一吠えもせず干からびてるのにも気付いただろう。
 だがペッシは目の前のことで頭がいっぱいだった。何事かわからないが、とにかくペッシの前で老人は死にかけている。
「助けを呼ばなくちゃ…」
 老人から手を離して立ち上がろうとしたとたん、膝がかくんと崩れた。ハッとして足元を見下ろす。二十歳に満たないペッシの両足が、しおれて骨と皮だけになっている。
「なっ…なんだよこれェッ!?」
 駆け出そうとして力が入らず思いきり転がった。恐怖感がものすごい勢いでペッシに覆いかぶさってきた。床についた手も、もう見慣れた自分の手じゃない、死に際のジジイの手だ。全身が震える。
「イヤだ…死にたくないッ!!」
 ペッシは右手を宙に突き出した。


 屋敷の中庭で栽培されていたのはまぎれもなく大麻だった。すべて枯らして始末した。貴族の末裔といえどこんな時代になると暮らしていくのに金はいるらしい。チンケな大麻を村人に売りさばいて小銭稼いでたせいでギャングに殺されるんだから、なんともつまらない人生だ。
 屋敷の主人の部屋に入ると、ベッドが一面真っ赤だった。血の海に沈むようにして、男の死体が倒れている。メタリカのせいで金具を飛ばされたらしく、重いカーテンがすべて垂れ落ちて、大きな窓から暗い夜空が見えた。
「こっちは片付いた」
 部屋の中央にいたリゾットに声をかけると、黒ずくめの男は少しプロシュートの方を振り向いてうなずいた。すべては滞りなく完了した。
 発動しっぱなしだったグレイトフルデッドを解除しかけた時、ふとプロシュートの頭の隅で苦いなにかが横切った。スタンドを引っ込めないプロシュートに、リゾットが勘付く。
「どうした?」
「悪い予感だ」
 理由も理屈もへったくれもないそれを、リゾットは無条件に鵜呑みした。とたんにリゾットの体が背景と同化し始める。メタリカを発動させたのだ。しかし同化しきるかしきらないかのところで、リゾットの体が突然グンッと持ち上がった。
「リゾット!!」
 プロシュートの声が響くと同時、リゾットの体はカーテンのない窓に直撃し、ガラスを叩き割って外に放り出された。プロシュートはグレイトフルデッドをすぐ間近に出現させ、窓に駆け寄る。下を見下ろすが、地面には砕け散ったガラスが芝生に刺さってるのみだ。
 ちがう、思い出せ。さっきリゾットの体は、たしかに宙に『持ち上がった』。落ちたんじゃない。まるで何かに『釣り上げられた』かのような動きだった。
 プロシュートは真正面を見た。
 中庭をはさんで、離れの建物がある。


 床に激突した感覚があって、全身を打つ痛みに意識が遠のくどころかより鋭敏になるのを感じた。その次の瞬間には、反射的にメタリカを発動している。リゾットの体のまわりに、無数の針が浮かんだ。それを手当たりしだいに飛ばす。
「うわぁぁぁッ!!??」
 すぐ近くで子供が悲鳴をあげるのを聞く。起き上がってすばやく周囲に目を配ると、薄暗い廊下には、幼い声のわりに体つきはすでに立派な、少年がひとり腰を抜かして座り込んでいた。
(こいつが?)
 リゾットは数歩さがって距離をとった。かまえたまま少年を鋭く見下ろす。
「す、す、すいません、俺、誰かひとを呼ぼうと、おもって、あの、俺、体がなんかおかしくって、いきなり、手足がジーサンみたいになったから、それで……」
 少年の瞳は恐怖に見開かれ、リゾットを映していた。体の異変というのはグレイトフルデッドのせいだろうが、すでに少年の体は元通りに戻っている。それさえ気付かないぐらい、動転しているらしい。演技ではない。
「おまえが…やったのか。何をした?どうやって俺をここに引きずり寄せた」
「わかんないよ!」
 とたんに、少年の頬を突き破って鉄の刃が飛び出した。少年が絶叫をあげる。
「質問に答えろ。おまえが、俺をここに連れてきたんだな」
「はい、はい、そうです、い、いたい…」
「どうやってだ。おまえは何をした?」
「俺にもわかんないよ!わからないけど、時々、釣り竿みたいなのが現れるんだ…それはなぜか他の人には見えなくて、先っちょについた釣り針で、なんだって釣れるんだ…俺はよく、厨房の冷蔵庫からチーズを盗んでたんだけど…壁でもなんでも、通り抜けるんだ…」
 『ビーチボーイ』って呼んでる、と少年はつぶやいた。刃の突き出した頬を両手でおさえながら、小刻みに体を震わしている。
「『能力者』か」
 廊下の反対側からプロシュートが現れた。その後ろを這う人型のものが無数の目をぎょろりと動かすのを見て、少年は再び悲鳴をあげた。
「これが見えてんのか。まちがいねぇな。おい、スタンドを出してみろ」
 少年がなおも狂ったように叫びつづけるので、プロシュートは舌打ちひとつ、拳で少年の頬を張り倒した。蹴りじゃないだけまだマシだが、ぶっ飛んだ少年はさっきメタリカで食らった傷から再び血を垂れ流した。
 歩み寄ったプロシュートが、少年の襟をつかんで有無をいわさず顔を上げさせる。そうして鼻先が触れあうほどに顔を近付け、鋭く澄んだ両の目をまっすぐ少年にそそいだ。
「オイ、俺を見ろ。目をそらすな。…そうだ。俺の言ってることがわかるな?」
 視線をプロシュートに縫いつかせ、少年は無心にうなずく。こういうところが面倒見がいいとリゾットは思うが、ホルマジオなんかは面倒見いいっつーか得意のガンタレじゃねーかと笑う。
「おめーは俺の横にいるモンが見えてるな?これは俺の『スタンド』だ。そっちの男も、同じようなモンをもってる。見てくれは全然ちがうがな…おまえのはどんなだ?『ビーチボーイ』つったか?出して見せてくれねえか」
 うん…と小さくうなずいて、少年は自分の両手を見下ろした。まだ細かく震えつづける両の指に、それは現れた。髑髏の形をしたリールに、釣り竿に似た『スタンド』。
「…リゾット」
「………」
 プロシュートの視線を受け、リゾットは腕を組んで思案した。思案するもなにも、選択肢は二つしかない。殺すか、『仲間』にするか。そのどちらかだ。

ファミリア r.p


 『仕事』と『生活』。一般的な社会生活を送る者なら誰しもがこの両方を成り立たせなければならない。大企業の社長だって家に帰れば飯を食って歯を磨かなればならないし、家と呼べるものを持たない浮浪者だって、昼間には外に出て空き缶や鉄クズでも拾い金を作らなければならない。人間社会に生きるなら、誰もがこの『仕事』と『生活』を両立しなければならない。ギャングだろうと、暗殺者だろうと。

「なにしてる、行くぜリゾット」
 名前を呼ばれて初めて、自分が声をかけられてることに気付いたリゾットは、ようやくパソコン画面から顔を上げた。デスクトップに腕をのせ、プロシュートがこっちを見下ろしている。
「どこにだ?」
「買い出しだよ。今チームのサイフもらったろうが。あんたに」
「俺が当番だったか?」
「他の手があいてない」
「ギアッチョは?」
「イルーゾォと任務」
「メローネは?」
「今日の朝帰ってきたばっかで寝てる」
「ホルマジオは」
「掃除当番」
「…ペッシ」
「ダメだ。今日はリゾットおめーだ。来い」
 この男が、こうすると決めたことに、それ以上何を言っても無駄だと改めて思い知らされた。リゾットは抵抗を試みるのも馬鹿らしくなったが、なんとかして買い出し係を回避できないものかと、思案しつつ時間稼ぎにパソコン横のサプリメントのケースに手を伸ばした。リゾットはサプリメントが好きだ。好きというか重宝している。とくに鉄分サプリは暇があればクセのように飲む。
 が、リゾットの手が届くまえにサプリのケースはすばやく取り上げられた。
「こんな薬みてーなもんばっか飲んでねぇで、たまには生のフルーツでも食え。そのための買い出しだ。ほら、大好きなお薬も減ってきてんじゃねーか」
 プロシュートの手の中で、サプリのケースがカラカラと音をたてる。実際にはサプリメントは薬ではない。栄養補助食品だ。と、何度言ってもプロシュートは理解を示さない。
「それは薬じゃない」
「薬みてーなもんだろうがよ」
「栄養補助食品だ」
「『補助』だろ?補助ってこたぁつまり、栄養自体はちゃんととって、そのうえで栄養を補うモンだっつぅーことだな?栄養をとるためにはどうしたらいいか知ってるか?まずはちゃんとした食事を食うことだ。肉と魚と野菜とフルーツでつくった食事だ。そうじゃねえか?リゾット」
 リゾットは立ち上がって上着を引っかけた。プロシュートに屈したというより、長くなりそうな説教を遮るためにだ。だが自ら立ち上がったということは買い出しに行くのを了承したということだから、結局降参したのと同じことだ。


 ギャングといえど、日々を暮らすために薬局にも行くし大型スーパーにも行く。もちろんショッピングカートだって引く。
「お、これ前にペッシがうまいっつってたやつだな」
 子供向けのキャラクターがでかでかと描かれたシリアルの箱を手にとって、考える間もなくプロシュートが買い物カゴに投げ入れる。プロシュートは浪費家というわけじゃないが、節約家とも呼べない。スーパーに来ても、あれとこれ、どっちが安いかどっちがうまいかとかで迷わない。迷う前にどっちもカゴにインだ。それはつまり浪費家と呼べるかもしれない。
「こんなヒマワリの種みたいなもんがうまいか?」
「錠剤食って生きてるやつに言われたかねーだろうぜ」
 リゾットからすれば、リスかネズミのエサのように見えるが、最近はこうゆうヘルシーシリアルが人気らしい。背の高い商品棚にいろんな種類のものが並んでいる。
「何がいるんだっけか、ホルマジオはとにかく『肉』っつってたしな、鳥肉でも与えとくか…ちっ、ギアッチョの野郎またスナック菓子だ。こうゆうモンばっか食う奴の気がしれねえ…ああでもこのチーズの入ったチップスはうまかったな…」
「メローネの書いてるのが読めん」
「どれだ?…あー?これなんかフランスの有名なパティシエのなんかだろ?」
「あいつどこでこんなもの買って食ってるんだ。ブランド菓子店にでも行けというのか?」
「かまわねえよ、そのへんのプリンかなんかで」
 メローネにしたらかまわねえことないだろうが、このへんは買い出しに行った者の特権だ。メンバーは皆それぞれ欲しいものをリストアップしてメモを渡すが、細かい裁量は買い出し係に基本一任されている。ル・ノートルのマカロンと書いていても、実際にはスーパーで安売りされているプリンとかになるわけだ。
「イルーゾォのメモが真っ黒だな」
「あいつぁ偏食すぎんだよ。かまうな、食いたくねぇもんは自分で避けんだろ」
「『俺の意見を無視するのは許可しないィ〜』とも書いてるが」
「ああ?あいつジジイになって流動食しか食えねー体にしてほしいのか?」
「またグレイトフルデッドだけ鏡の中に閉じ込められるぞ」
「素手でだって負ける気しねぇよ」
 ぐるぐると陳列棚を周回するうちに、ショッピングカートには物があふれんばかりになっている。
「タマネギが安いな」
「おー買っとけ買っとけ。ミネストローネにでもするか。……」
 丸々と肥えたタマネギを手にとって、プロシュートがしばし黙った。
「タマネギってあんま買ったことねぇよな。誰かアレルギーなんじゃなかったっけ」
「ああ。ソルベがな」
 再びの沈黙があって、プロシュートが「そうか」と呟いた。
「ソルベか。てっきりジェラートの野郎がダメなのかと思ってたぜ。あいつら食いモンの好き嫌いまでいっしょだっただろ。双児かっつーの。ややこしいったらないぜ」
「微妙にちがってはいたがな。ジェラートはイカが嫌いでソルベはタコがダメだった」
「そうゆうのが余計ややこしいんだよ。椎茸は嫌いでタケノコは好きとかよォ」
 食卓を何度も共にすれば好き嫌いもわかるようになる。その人の癖も知る。生活をするとはそうゆうことだ。寝る。食べる。洗う。支度する。そうして時を重ねていく。
 いっしょに生活をするひとたちを、リゾットは『家族』と呼んでいる。

ふたつの覚悟


 サルディニアからローマへと向かうボート、その亀のスタンドの中で、トリッシュはずっと何かに耐えている風だった。ジョルノはそれに気づいていたが、あえて触れずにいた。俺は多くのことを考えていた、正体をつかみかけたボスのこと、パソコンを通じ突然接触してきた謎の男、そして。
 アバッキオの死。

 サルディニアは美しい場所だった。スカイブルーの空とエメラルドグリーンの海。
 海岸で、ひとりの男の死体を見つけた。
 全身をエアロスミスの弾丸に貫かれ、ズタズタになった黒ずくめの男。名前も顔も素性もしらない。けれどきっと組織の者だとわかった。ボスの娘を奪うため、俺たちをずっと追い続けてきた、組織の『裏切り者』たち。パッショーネの、ひと際ドス黒い影の中で生きてきた者たち。その最後の刺客。チームのリーダー。
 『暗殺』のみを任務とするチームの存在は当然知っていた。そのメンバーを実際に見たのは今回が初めてだった。暗殺をなりわいとする以上、顔を合わしたなら、どちらかの死しかない。万が一、暗殺チームの者が任務に失敗して死んだ時のために、チームのメンバーらは過去も名前も消して偽りに書き換え、また組織内外に関わらず、特別な人間関係を築くことを固く禁じられていたという。
 そして常に命の危険がともなう任務を担っているというのに、組織内での地位は低く『幹部』にもなれない。報酬も、俺たちのようにショバ代や介護料があるわけじゃあない。純粋に、ひとを殺した分だけ手に入る金額。同じギャングからも疎まれ蔑まれた仕事。

 全身を血まみれに濡らした黒ずくめの男は、サルディニアの真っ青な空を、うつろな瞳で見つめていた。
 『仲間のいない残りのひとり』。部下をかかえるリーダーとして、これまで俺たちが倒してきた何人もの彼にとっての仲間たちの死を、どんな風に受けとめていたのだろうか。
 俺は常に率先して動いてきた。任務は遂行する、部下も守る。そのために、自分の命など惜しくはなかった。危険をおかしてこのサルディニアにまで来た。
 この男は、待っていたのだろう。仲間からの連絡を。ブチャラティたちを始末した、娘は手に入れた、そうかかってくるはずの電話を。
 その連絡はけっして入ることはなかった。この男の元に。
 そうしてこのサルディニアの地に、辿り着いたのだろう。たったひとりで。仲間はだれもいない、残された、たったひとりで。

 アバッキオを守ってやりたかった。ムーディーブルースはリプレイ中、完全無防備状態になる。ボスからの攻撃を予測すべきだった。
 俺たちのチームがここまで全員無事で来れたことが、むしろ奇跡だったのかもしれない。『トリッシュを守る』という任務を受けてからこれまで戦ってきた組織の刺客たちはみな、今まで出会ったどんなスタンド使いより強かった。いつ誰が死んでも、おかしくはなかった。
 それでも俺は守りたかった。部下を、仲間を。
 この男も、そんな想いがあったのだろうか。

 フィレンツェ行きの列車の中で戦った者たち。俺が唯一、直接戦ったのはあの二人だけだ。老化させるスタンドをもつ男と、釣り竿に似たスタンドをもつ男。
 あの二人は同じチームのメンバーだったのだろうが、単なるチームのメンバーだけじゃない、深い信頼関係と互いへの敬意があった。俺がミスタやナランチャへ、深い信頼を寄せるように。
「甘いんじゃあねーか、ブチャラティ。仲間を切り捨ててでも娘を守るため、俺を倒す、それが任務じゃねえのか?『幹部失格』だな」
 『兄貴』と呼ばれていた男の言葉は、彼らのチームの信条だったのだろう。仲間を切り捨てても、暗殺を遂行する。だが俺はちがう。どっちも守る。仲間も任務も、けしてあきらめない。

 黒ずくめの男の死体、そしてアバッキオの倒れ伏した姿。俺が守れなかったもの。守りたかったもの。黒ずくめの男の死体は、俺の未来の姿か?ちがう。俺は守る。『仲間のいない残りのひとり』にはならない。死んでいく仲間を見送るなんてまっぴらだ。だから黒ずくめの男には敬意を払おう。俺がリーダーとして、自らの命をかえりみず戦うことを決めたのと同じように、黒ずくめの男は、何人の仲間の命を見送ろうと、最後まで自分は生き残ることを決めたのだ。生き抜く覚悟は、死にゆく覚悟と同等に重い。

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