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忘れられた映像 i.p.r.g.m


 イルーゾォは何度かそのシーンを目撃していたので、もしかしてプロシュートはけっこうなナルシストだろうかと思っていたが、あれだけ見栄えのいい男ならナルシストだったとしても誰も文句は言わないだろうとも思っていた。だから口外することもなかった。元から余計なことは言わないタチだ。
 今夜も鏡の中の世界を歩きわたっていると、どこかから強烈な視線を感じた。現実世界で誰かが鏡をのぞきこんでいたら、いつもこういう感覚を得る。
 少し見回せば、すぐにそれとわかる。キッチンにかけられた鏡つきの壁掛けだ。
 近寄ってみると、鏡の向こうにはプロシュートの姿があった。夜も深いせいで辺りは暗い。
 電気もつけない暗がりの中、鏡にじっと見入っていたプロシュートは、静かに目を閉じ、鏡面にそっと額をつける。
 ただそれだけだ。時々かすかに唇が動くことがある。でも声は聞き取れない。
 それはたとえば弟分のペッシを、ぞんぶんに叱りつけ蹴りまくった後で、額を突き合わす、あの動作に似ている。慰めるような、いたわるような。祈るような。
 目を閉じ黙っていれば、ただただ彫像のように美しい顔を眺め、イルーゾォは不思議な心地に思う。罪人の告解を受けてるようであり、逆に、イルーゾォが何かを赦されるようでもあった。



 その日バールのカウンターで、ギアッチョとリゾットはビール瓶を傾けながら、テレパシーとか超能力とかそうゆう話をしていて、プロシュートとメローネとイルーゾォはピスタチオをかじりながらスコッチを楽しんでいた。話題はおもに今週封切りした映画について、だったが、その内容が、特殊能力をもつFBIの女が凶悪事件を解決するというものだったせいで、結局ギアッチョからの批判の的になった。
「俺は信じねーな。テレパシーとか超能力とかよォ~あんなもんトリックがあるに決まってんだろ」
「俺たちに知覚できない方法を使ってるんだとしたら?たとえば『この能力』だってそうだろう」
 リゾットの指がプロシュートの前に置かれたスコッチグラスを差す。琥珀色に浮かぶ北極海の氷河みたいな大きい氷は、プロシュートが冷えが足りねえからとギアッチョに作らせたものだ。もちろん『スタンド能力』で。
 プロシュートはまだずいぶん長い煙草を灰皿でもみ潰しながら、フンと鼻を鳴らした。
「俺らみてーなモンが超能力ってやつを否定すること自体バカげてる」
「ギアッチョ、そもそもおまえの言うトリックの定義があやふやなんだ。現代科学で理論的に説明しうるものが『トリック』か?それならテレパシーや予知能力は『トリック』なしの超能力ってやつだろ」
「おめーのそれは屁理屈だろーがクソッ!」
「屁理屈はおまえの得意とするとこじゃなかったのかよ」
 メローネには言葉で責められイルーゾォにまで突っ込まれ、それでも退かないのがギアッチョのギアッチョたるゆえんだ。
「ぜったいに認めねーッ!予知能力なんてもんがあるはずねーだろうが!そんなもんあったとしたら世界中の全員が競馬で大もうけして大金持ちだ!」
「予知能力の使い道がそれかよ」
「落ち着け、ギアッチョ。おまえには甘いものが足りねえんだ」
 リゾットが差し出してきたのは、カラフルなビニールに包まれた丸いお菓子だ。受け取ったギアッチョが包みをはがすと、中には卵型のチョコレート。
 ギアッチョの手元をのぞくメローネとイルーゾォが一斉に声をあげる。
「いいもんもってるな、リゾット!」
「俺にもくれよ」
 2人にもそれぞれカラフルな卵型の包みを渡すリゾットを見ながら、プロシュートは新しい煙草に火をつけた。
「復活祭か」
「ここの隣りで売ってた。俺の故郷じゃ行進やダンスがあったが、ここらじゃ見かけないな」
「食い気のほうが盛んだからな。子羊の丸焼きならそこらにあるぜ」
 プロシュートはリゾットに差し出された黄色い包みのチョコレートを一応受け取って、テーブルに置いた。食べないことはないが、今はとくに欲しくない。帰ってペッシにでもやろうかと思う。
「復活祭って、そもそも誰が復活したんだ?」
「おめー知らねえのかよ?まじか?」
 心底信じられないという顔をするギアッチョに、メローネは肩をすくめてみせた。卵型のチョコレートをかじりながら、イルーゾォが口を挟む。
「カトリックじゃねえんだろ?11月1日の祝日も知らなかったし」
「それにしたってこのヨーロッパに住んでるやつで復活祭を知らねー人種がいていいのか?つーか知らねぇなら卵食ってんじゃねえッ!」
「いいだろ別に、イエス・キリストは無知なる俺にだって平等なはずだ」
「そのイエス・キリストが復活した日だよ。キリストはすべての罪を背負い磔にされて死んだ。で、3日目に生き返った。それが今日」
「へえ?じゃあすべての罪が赦される日ってこと?」
「まぁ大体そんなかんじだ」
 ざっくりとしたプロシュートの説明にリゾットがほんとに大体だなと突っ込むが、話はすでにギアッチョによって次へと進んでいた。
「こうしよう、今から神様に懺悔するってのはどうだ。それが許される日だからな。今ならどんな告白でもビールとチョコレートで忘れてやれるぜ。なんか懺悔することはあるか?」
「懺悔?たとえば?」
 イルーゾォが問う横で、メローネが割って入る。
「スクールに通うために男相手に体売って稼いでましたとか?」
「まじか?」
「92年で足を洗った」
「まじなのかオイ」
「冗談にきまってるだろ」
 しれっと言ってのけるメローネのどっちを信じればいいかわからないギアッチョは置いてけぼりに、プロシュートが煙とともに言葉を吐く。
「人が死ぬのを見た」
「見なかった日があるのかよ」
「双子の兄だ。俺の目の前に落ちてきた。母が突き落としたんだ。21階から」
「マンマミーア」
 思わず感嘆したメローネに、イルーゾォが「マンマはやめろ」と嫌そうに呟く。しかしメローネの興味は別のところに向いている。
「双子って?一卵性?二卵性?」
「さぁな。顔はよく似てた。性格はぜんぜんちがった」
「じゃあ二卵性かな」
「顔がいっしょなら一卵性じゃないのか?」
「そのへんの区別は微妙。二卵性でも親兄弟ぐらいには顔も似てる」
「オイオイオイ、いま重要なのそこか?ちがうな。なんでテメーの母親がテメーの兄を突き落としたんだよ。どんな状況だそりゃ」
 メローネとリゾットがおかしな方向に話を広げるのをぶった切って、ギアッチョはしかめた顔をプロシュートに向けた。
 プロシュートはやはりまだ長いままの吸い殻を灰皿でつぶした。かなりチビチビまで吸うホルマジオなら、いただくぜと拾って続きを吸うぐらいの長さを残したまま。
「正確には母が殺したがってたのは俺の方だ。その日はわざと俺と兄が入れ替わってた。服装や、持ち物まで交換してな。母は兄を俺だと思って、ベランダから突き落とした。それで兄は死んだ。俺の目の前で」
「あんたが生きてるのは、双子の兄貴が死んだおかげってことだ」
「まさに生け贄の子羊だな」
 みんなの会話を聞きながら、イルーゾォの中でひとつの映像が思い出された。鏡に向かって、まるで祈るような姿。静かでひそやかな儀式。
 けれどイルーゾォはそのことを決して口外しなかった。プロシュートが自らしゃべった過去なのだから、別にバラしたってよかったのだろうが、卵型のチョコレートといっしょに、イルーゾォはその映像を呑みこんだ。ただプロシュートがいつも長く残して吸う煙草、彼の双子の兄がもし生きていて煙草を吸うなら、きっと同じように長いまま灰皿で潰しただろうと思った。墓標のように、灰皿に突き立つ白い影。

円卓の騎士 i.ps.m.g


 先々週はイルーゾォの番で結果は最悪だった。イルーゾォが選択したのはよく行くいつもの店だったが、リニューアルのせいで閉店休業になっていて、仕方なく向かいのオープンしたばかりの店に入った。
「あそこのチーズは最悪だったな。ローマにできたアメリカ産のファーストフード店かと思ったよ。なんだっけ、あのギアッチョが買ってきた」
「マクドナルド」
「それ」
 メローネは両手でパチンと鳴らした指を回答者のペッシに向けた。それにペッシのとなりのギアッチョが噛み付く。
「人差し指を向けんじゃねえッ!それにな、マクドナルドがまずいんじゃあなくて、オメーの選んだメニューが最悪だっただけだ。McItalyにいってみろ、オメー好みの100%イタリア食材がショーケースに並んでるぜ」
「マックのチーズと肉はいただけなかったけど、マックバールのエスプレッソはいける味だった」
「エスプレッソはおまえのあの店が一番だったよイルーゾォ。あそこが使えねえならミラノは世界一シケた土地だ」
 度の入ってないメガネを机に落とすメローネを見返し、肩をすくめ、イルーゾォはギアッチョにメニューを回した。受けとったギアッチョは2秒で注文を決め、ペッシに回す。ペッシはメニューを立てたままウェイターを呼んだ。
「俺イカと野菜の墨煮。みんなは?」
「なんだそれ?うまいのか?」
「俺はミートローフ。おいメローネ、オメーもう注文決まったっつってただろ。さっさと言えよッ!」
「俺リコッタチーズとじゃがいもの堅焼き、あとガス抜きの水」
「ここはペッシ推薦の店なんだからペッシが食うのが一番うまいもんに決まってるだろ」
「うまいよ、墨煮。でもメローネ、このあと学校に戻るんだろ?口の中真っ黒になっちまうぜ」
「おまえだって病院の受付事務に戻るんだろうペッシ。口の中真っ黒でいいのかよ」
「勤務中はマスクしてるから大丈夫」
 結局メローネは子羊の脳みその蒸し焼きを注文した。無駄なやりとりだったがいつものことなので気にしては負けだ。だからイルーゾォは気にせず話を続けた。
「まだ大学いってるのか。卒業式はいつなんだよ」
「卒業式の経験がないくせに言うじゃねえか」
「俺もない」
「あんなもん別にいいもんじゃねえよ。つーかイルーゾォはまだしもおめーもねえのかペッシ」
「俺はまだしもってなんだよ。2人して!」
「リタイア組。おまえとプロシュート」
「あとリゾットも」
「リゾットは家の都合でスクール行くのをやめたんだろ」
「詳しいね」
「昼飯おごった見返りに情報というご褒美」
「買収かよ。趣味ワリィ」
「卒業式には招待してやるよイルーゾォ。招待状はいくらで買う?」
 イルーゾォが投げたくしゃくしゃの紙ナプキンは、標的のメローネには当たらず、皿を運んできたウェイターの足下に転がった。
「さぁ来た!本日はこのペッシおすすめ、チブレイーノの自慢ディッシュだ」
「ヒュー♪」
「待ってました!」
 月に何度か、不定期に開かれるチームの年少組の昼食会。年少組の4人はパッショーネの仕事がない時は、それぞれ職に就いてるかスクールに通っている。仕事や授業の合間をみつけ、集まってはそれとなく情報交換の場となっている。
 彼らのチームは全員で集まるということがほとんどないが、逆にこうした小さな集まりはわりと頻繁だ。ホルマジオ主催の、煙草とティータイムを楽しもうの会しかり。
 この昼食会では、毎回店を決める担当を順番にまわすシステムで、今日はペッシの番だった。店選びは担当にまかせ、他のメンバーは担当の選んだ店に文句をつけないのが決まり事だが、おおむねペッシの選定には定評がある。うまくて安い店ならペッシとホルマジオが詳しい。
「さすがフィレンツェ老舗名店の系列だけあるな。肉の厚みがちがうぜ」
「気のせいか水もうまい」
「それはほんとに気のせいだと思うけど」
「ギアッチョ、オリーブオイルとって」
「ハウスワイン飲みてえ。デキャンタ注文しようぜ」
「赤」
「俺、白がいい」
「白…いや、赤…赤…うーん」
「意見を一致させる努力をみせろよオメーらッ!」
 ギアッチョがウェイターを呼んで、結局それぞれグラスで注文した。ギアッチョも昼食が終わればスクールに戻るが、飲酒をとくに気にする様子もない。
「この前、プロシュートに連れられてプラダ行ったんだけど、店のなかでタダでシャンパン飲めたぜ」
「マジ?」
「ほんとにタダか?税金と称して徴収されてんじゃあねーのか」
「そうだとしても買ったのはプロシュートだけだから俺は関係ない」
「ほんとにタダで飲めるよ。俺も兄貴といっしょに行った時、プラダの店員に迎えられて、番号札取らなくても奥に入れてもらえたぜ」
「あの野郎がお得意様なだけじゃねーか」
「昼間からシャンパン飲んで、中古車でも買えそうな値段のシャツ選び。どうやったらそんなリッチな生活送れるんだ?俺も5年後はああなってんのか?」
「できるんじゃねえの。同じリタイア組だし」
 イルーゾォから再び飛んできた紙ナプキンのボールを避けて、メローネは運ばれてきたワイングラスを手に取った。ペッシとギアッチョは軽くグラスを鳴らす。
「Alla salute」
「安くてリッチな食卓に」
「ペッシに」
 2人をならってメローネとイルーゾォもグラスを掲げる。おのおのグラスをあおったあと、ペッシがイルーゾォの方を向いた。
「兄貴みたいになれなくても、十分リッチだぜ、俺たち」
「そうだな…アーサー王にはなれないけど、円卓には座れてるしな」
 おそらくアーサー王の円卓よりも豪勢な食事会だ。料理はどうかしれないが、彼らは自分たち以上に最高の仕事仲間をしらないのだから。

AM10:00 all


 彼らの生業は暗殺だ。総じて仕事の時間は夜が中心となる。
 深夜か、早朝に任務が完了すると、そのまま各々が借りてるフラットに帰ることもあるが、一旦チームの溜まり場に寄るパターンが多い。チームリーダーへの任務完了報告という目的もあるし、どちらかというと特に意味もなく、みんな集まってくる。だからリゾットやメローネのように、もはや住み込んでしまっている場合もある。
 プロシュートがペッシを伴って任務終わりに溜まり場に寄ると、そのリゾットとメローネがいた。
 時刻は午前5時前。2人はダイニングテーブルでワインを開けチーズをかじっている。ステレオから流れるのは時間帯に合わないUKロック。
「おめーらも仕事か」
「いや、単なる夜更かし」
 チッと舌打ちひとつ、プロシュートはメローネのグラスを奪って赤ワインを一気に飲み干した。メローネが「あー!」と非難の声をあげる。
 それを完全に無視して、プロシュートはジャケットを脱ぎ捨て上階に上がる階段へ向かった。上のフロアには各々にあてられた部屋がある。
「あ、兄貴ィ!報告はいいんですかい?」
「問題なく任務完了、だ。俺は寝る。槍が降ろうと蛙が降ろうと起こすんじゃねえぞ」
 そうしてまったく振り返ることなく、プロシュートは自室に消えてしまった。
 取り残されたペッシはどうしたものかとリビングに突っ立ったままだ。
「報告はあとでかまわないから、おまえも寝たらどうだ。どうせ『兄貴』よりは早く起きなきゃならないんだろ」
 リゾットの言葉にペッシはわかりやすく顔を輝かせる。じゃあ俺、仮眠とってきますと言い残し、ペッシも上のフロアへ上がっていった。
 それを見送って、メローネは自分のグラスにワインを注ぎ直しながら、リゾットにニヤリと笑みを向けた。
「リゾットやさしィ~~~」
「気持ち悪い声をだすな」
 東の窓が少し明るくなってきた頃、リゾットは報告書を片付けると言って自室に戻ってしまった。
 メローネはひとりで残りのチーズを食べきり、あくびひとつ漏らす。寝ようか、どうしようか、ダイニングテーブルにべったりと上半身を預けうだうだしていると、騒がしい声が玄関から響いてきた。
「あ~~~飲んだ飲んだ!もうなんにも入らねえ!」
「これしきでギブアップとはよォ~~ホルマジオてめえ年食ったんじゃねーの?」
「だァ~れに口きいてんだ?ええ?」
 ガタガタとそこら中にぶつかる音を鳴らしながら、ホルマジオとギアッチョがリビングに入ってくる。
「よォ、どうだったんだ新しいクラブ」
「なかなかだったぜ、とくに今夜はDJが冴えてた!なぁ?」
「ああ、バーテンダーの女、美人だったしなァ~。おまえも今度いこうぜ、メローネ」
 酒のおかげで2人ともずいぶんご機嫌だ。オールナイトでこんな時間まで飲んでいたんだから、そうとうアルコールも回ってるだろう。その証拠にしばらくギャアギャア騒いだあと、ギアッチョはすぐリビングのソファで寝てしまった。
 ホルマジオはメローネの向かいに座って、リゾットの使っていたグラスにワインを注ぎ始める。さすがにメローネは呆れた。
「まだ飲むのかよ」
「何言ってんだ、そこに酒がある限り飲むぜ俺は。しかもこれ、ボジョレーヌヴォーだろォ~?」
 うししっと無邪気に笑いながらホルマジオはグラスを仰ぐ。
 そのうちにイルーゾォがリビングに入ってきた。朝のバールで買ってきたらしい、タルトのいい匂いのする包みを抱えて。
「うわっ!酒臭ぇ!」
「なんだァ~?何買ってきたんだ?いい匂いすんなァ~」
 開口一番イルーゾォは鼻をつまんで、タルトにたかってくるホルマジオをしっしと手で追い払った。それからテーブルの上のワインボトルを一瞥して、ついでにソファで寝こけているギアッチョにも目をやる。一周して、イルーゾォの呆れ果てた目線はメローネに向けられた。
「こんな時間まで酒盛りかよ。もう朝だぜ。酔っぱらいは早く寝ろよ」
「悪酔い連中といっしょにしないでくれ。俺は夜更かししてただけだ。ああでも、その匂いかぐと腹へってきたなァ~…」
「やらねーからなッ」
 タルトの包みを抱えてイルーゾォはさっさとキッチンへ引っ込んだ。
 強欲な野郎だとメローネが毒づいてると、ホルマジオもコキコキ肩を鳴らしながらキッチンへ足を向けた。
「たしかに腹へってきたぜ。なんか作るか。おめーも食うだろ?」
「もちろん!」
「こんな時ばっか返事いいんだよなァ~オメーはよォ~~ったく、しょおがねぇなぁ~~」
 なんだかんだ言いながら冷蔵庫で食材の物色を始めるホルマジオは、さっきまで酒を飲んでいたとは思えない手際の良さだ。メローネはホルマジオのこうゆうところを、ひそかに尊敬している。こうゆうところだけだが。
 朝食の気配を感じ取ったのか、ペッシが上階から降りてきた。まだ9時になったところだから、4時間ほどしか寝てないはずだが、朝に強いペッシは妙にすっきりした顔つきだ。
「あ、食事の準備してるんですかい。手伝いましょうか」
「おう、じゃあエスプレッソ作ってくれるか」
「俺カプチーノがいい」
「牛乳は自分で泡立てろよォ~」
「めんどうだな…じゃあカフェラテでいいや、ペッシ」
「結局ペッシにいれさせるのかよ」
 自分のマグカップとあたためたタルトを手に、イルーゾォがメローネのはす向かいに座る。エスプレッソじゃなくミルクティーだ。イルーゾォはあまりコーヒーのたぐいを飲まない。タルトはカボチャとチーズを焼いたものらしい。それに生クリームをのせて食べる。やたらうまそうだ。
「うまそうな匂いがするな」
 完全に匂いに釣られて、リゾットが降りてきた。イルーゾォの皿をちらっと見て、すーっとキッチンへ入っていく。こういう時のリゾットは、メタリカでも使ってんのかというぐらい気配がない。
「はい、メローネ」
 しばらくしてキッチンから戻ってきたペッシが、両手にもったマグカップの片方を差し出してきた。受け取ると、中にはクリーム状の牛乳が浮かんでいる。
「あれ、カプチーノ。作ってくれたのか」
「リゾットがフォームドミルク作ってくれたから」
「グラッツェ」
 メローネはマグカップを両手で持って、ひとくち含んでみた。まだ熱くて飲めないけど、匂いをかいでるだけで気持ちが満たされるようだ。立ちのぼる湯気でまつ毛が湿る。
 ホルマジオとリゾットが、焼いたバゲットにトマトペーストとオリーブオイルを塗り、板状のハムをのせた、なかなか豪勢な朝食をテーブルに運んできた頃、まるで計ったようなタイミングでプロシュートが姿を現した。
「いい匂いだな。俺の分ある?」
「残念ながらあるんだよなァ~~感謝しろよ」
「グラッツェ、愛してるぜ」
 ぐっすり寝たらしく、数時間前の不機嫌が嘘のようだ。プロシュートはホルマジオから一皿受け取って、リビングの方へ移動したが、座ろうとしたソファに巻き毛が丸まってるのが目に入った。途端に眉間にシワが寄る。
「こんなとこで寝こけてるんじゃねえよ…」
「クラブ帰りでそうとう酔っぱらってたから、まだしばらく起きないと思うぜ」
「なんでまっすぐ家に帰んねーんだよ、邪魔でしかねぇ」
 辛辣な言葉を吐きながらもプロシュートはギアッチョを避けて、一人掛けのソファに陣取る。家に帰れという点では任務終わりとはいえ報告もすっ飛ばして寝ていたプロシュートも同罪だが、誰もそこに突っ込む者はいない。
 ステレオから流れていたUKロックはとうに終わって、朝のテレビ番組ではテンションの高い星座占いが流れている。窓から差し込む光の白さ。
 食事を作り終えたホルマジオがソファで丸まってるギアッチョをちょっと端にどかしてその横に座り、ペッシは立ったままビスコッティをかじって同じくテレビを眺めている。一人掛けに座るプロシュートはすでに食後の一服に移行。ダイニングテーブルでまだタルトにかじりついてるイルーゾォを尻目に、2杯目のカプチーノを入れに席を立つメローネ、その向かいでリゾットは今朝一番の新聞を広げる。いつもと変わらない、朝の風景。

ガラスの凶器 p.m.g


 ジェラートはチームで一番のナイフの使い手だった。
 いつだって全身に数十のナイフを隠し持っていて、屈んだと思えばブーツからナイフが飛び出たし、握手、といって差し出された手の袖口から気まぐれにダガーナイフが顔を出すのも、彼おきにいりの冗談だった。
「今までこのチームに来たやつ全員にコレやったんだけどさ、避けたのはおまえで3人目」
 初めて顔を合わせたときに、やはりその冗談を仕掛けられたプロシュートは、自分以外の2人が誰か、言われずともなんとなく分かった。ソルベとリゾット。
 結果としてジェラートのダガーを避けれなかった他の連中は、みんな死んだ。任務中に、あるいはボスに粛清されて。

 プロシュートは一度ジェラートに、なぜナイフを使うのか聞いたことがある。
 ナイフはたしかに不意をつければ十分な殺傷能力をもつし、近接ならなんらかの怪我を負わすことは可能な安易な武器だが、殺傷の即時性は薄く、急所や関節を正確に狙わなければ、なかなかすぐには死んでくれない。拳銃のほうが確実だ。
「なんでっていわれても、まぁ、好きだから?扱えると楽しいもんだぜ。楽器とかと同じだ」
 なるほど。納得のいく答えだった。トランペット奏者になぜバイオリンを使わないんだと聞く人はいない。
 ジェラートのおきにいりのナイフはガラス製だった。切れ味がとにかく良い。ただガラス製だけあって割れやすいから、扱いが極端に難しいという。
 プロシュートは一度だけジェラートと一緒にこなした仕事で、彼のガラスナイフがターゲットの首を刎ねるのを見た。その切断面は鮮やかなものだった。まるで初めからそうなることが予定されていたように、肉も骨も、真っ平らに裂かれた首。
 だから額に飾られたソルベの胴体の見事な断面を見たとき、すぐに気づいた。
 ジェラートのガラスのナイフで、切ったのだと。




「おっせェーなァ〜〜プロシュートのやつはよォ〜!」
「あと18分まって来なかったらベイビィフェイスでも使うか」
「なんで18分なんだよ?中途半端じゃねーかッ」
「昼飯の時間だ。ピッツェリアに行きたい」
 ホテルのロビーでギアッチョが苛立ちまぎれにソファの足を蹴りつけるのを、メローネは興味なさげにスルーした。ふたりともソファに深々と体を沈め、ロビーに置かれたテレビから流れるおもしろくもクソもないニュースを流し見ている。
「だいたいプロシュートのやつは何を探してるっつーんだ。仕事した現場に長居すんなっていっつもアイツが言ってることじゃあねーかッ!クソッ、納得いかねーぜ、自分の言ったこと破ってまで『探し物』なんてよォ〜」
「イライラしないでくれ、ギアッチョ」
「イライラしてんじゃあねーよッ、元からこうゆう口調だッ!それで、メローネ、オメーは知ってんのかよ?あの野郎の『探し物』がなんなのか」
「さあなァ……ガラスの靴ならぬ、ガラスの凶器でも探してるんじゃねえの」
「ハァ?なんだそりゃ?おとぎ話か?」
 ホテルの入り口付近に併設されてるカフェには、真っ昼間っからビジネススタイルの男女たちが、ワイン片手に談笑している。ビジネスマンでも昼の休憩時間は2時間あって当たり前なのがイタリアという国だ。それに、うまい料理には、それに合ったうまい飲み物をとるのが当然。自然とワインを傾けることになる。
 カフェの光景を眺めながら、昼飯はフォカッチャとラザニアにしようとメローネが人知れず心に決めていると、ギアッチョが今度はメローネの座ってるソファを蹴りつけてきた。さすがにイラッとくる。
「ああ?」
「オメーよォ、人が話しかけてんのに勝手に意識飛ばしてるんじゃあねーよッ!」
 オメーのよくねぇクセだ!と、今までにも何度か言われた文句をまた言われる。あーうるせえなといつも通り耳をふさぐが、ギアッチョ以外にもそれを指摘されたことがあるので、実際にそれはメローネのクセなんだろう。
「ガラスの凶器って、なんの話だ?」
「ああ……どうだっていいだろ、そんなの」
「よくねーよ。気になるじゃねーか!」
「ヒマなんだな、ギアッチョ」
「オメーもだろうがよ」
「コイン持ってるか?裏か表かで決めよう。表だったら俺はガラスの凶器の話をする。裏だったらしない」
「やっぱりオメーもヒマなんじゃあねーか」
 ポケットをまさぐって、ギアッチョが硬貨を一枚差し出してくる。
 なんだかんだいいながら付き合うんだからやっぱりギアッチョもヒマだ。総合すると、ふたりとも、やっぱりヒマだ。
 メローネは、コインを握った拳の親指のうえに乗せ、ピンッと跳ね上げた。それを手の甲でキャッチし、空いた片手でフタをする。
 本来ならここで表か裏か、なのだが、すでにその条件はメローネ自身が提示してしまっていた。ギアッチョがそれなりに真剣に見守る中、メローネはゆっくり時間をかけて、フタした片手を持ち上げる。
「……チッ」
「やった!表だッ!ほら、さっさと話してもらおうじゃねーかァ〜?」
 ギアッチョがやたら嬉しそうに声をあげるのが何かと癪だが、賭けは賭けだ。メローネはコインを手遊びながら、再びソファの背に体を沈めた。
「ガラスの凶器ってのは、ジェラートの使ってたナイフのことさ。奴の愛用品だ」
「へえ?ガラス製のナイフか?変わってんな。それで、なんでプロシュートがそれを探してるってんだ?」
「それがあればボスの正体がつかめるかもしれないから」
 ギアッチョの目の色が変わった。ギアッチョが突っ込んで聞いてきたのは本当に単なるヒマつぶしだったが、今ははっきりと、好奇心をもって身を乗り出してくる。
「どうゆうことだ?詳しく教えろ!」
「こっから先は別料金なんだがなァ〜……順を追って話すと、ジェラート愛用のガラスナイフってのは、切れ味抜群で、物を切れば、切断面がめちゃめちゃキレイに仕上がるらしい。肉だろうと骨だろうとな。ソルベはおそらく、そいつで切断されたんだ」
 ギアッチョが、ゴクリとのどを鳴らす。ギアッチョにとってもメローネにとっても、ソルベのあの美術品のように額におさめられたバラバラ切断遺体の光景は、まだ遠い記憶じゃない。
「ソルベの遺体もジェラートの遺体も戻ってきたが、ガラスナイフだけはどこにいったかわからなかった。おそらくソルベを切断するときに、それを実行したか手伝ったかした奴、あるいはボスは慎重な人物みたいだから、処刑はボスひとりで実行したかもしれない。その片付けをさせられた奴……今日殺したターゲットが、おそらくそいつだ。プロシュートは、ジェラートのガラスナイフをそいつが持ってるんじゃあねーかと疑ってた」
「なるほどなァ、もしそのナイフを取り戻せれば、で、運良く血液が付着してりゃあ…」
「ベイビィフェイスで追えるかもしれない。ボス本人じゃなくても、ボスにごく近しい人物に行き当たる」
「オメーらいつのまに、そんな怪しいはかりごと、してやがったんだよ」
 メローネは口の端を上げて笑い、もてあそんでいたコインをピンッと再び跳ね上げた。
 落ちてきたそれを宙空でつかみとり、ギアッチョの目の前で、ゆっくり手のひらを開いてみせる。コインはない。
「おおッ!?消えた。どこやったんだ!?」
「ないしょ」
 メローネが笑うと、ギアッチョはしばし間をおいて、いきなり何かに気づいたらしかった。
「オメー!『ないしょ』じゃねー!それ俺の金だろーがよッ!返しやがれ!!」
「別料金っつったろ。お代はいただいとくぜ」
 少ないが昼飯の足しにしよう。メローネの計算は狡猾だ。




 腹に食い込んだ異物感に、男は大きくわなないて悲鳴をあげた。
 一方のプロシュートも、刀身を、柄を、それを握る手を伝って、男の肉をえぐる感触をはっきり知覚する。
 ぐ、と体重をこめてさらに押し込む。それから、ねじる。男が嗚咽をもらす。やめてくれ、勘弁してくれ、殺さないでくれ…。男の嘆願が、肉に食い込んだ刀身に響く。
 プロシュートは抱き合うように密接した男の肩にあごをのせ、男の耳に静かな声を吹き込んだ。悪いな、俺はオメーに恨みはねえが、このナイフは、オメーへの恨みがたっぷりなんだ…。
 男を突き放すと同時、勢い良くナイフを抜き取ると、男の腹部からは滝のように血が流れ出て、男はしばらく壁にもたれ喘いでいたが、やがて足の力が抜け、地面に倒れ伏した。
 プロシュートは倒れた男に歩み寄って、脈で死んだのを確認すると、男のジャケットでナイフの血をぬぐった。
 ガラスの、すっかり曇ってしまった刀身が姿をあらわす。元はうつくしい透明色だったのに。ジェラートの手元にあった時は、こんな風に曇ること、一度だってなかった。
 結果として、メローネとギアッチョと一緒に当たったターゲットの方は、ガラスナイフのことなど知らず、その相棒だった男が所持していた。二人とも、ソルベの処刑現場の後片付けに携わった、下っ端のゴロツキだ。
 ゴロツキでも、二人は互いに相棒と呼ぶほどに、仲が良く仕事も共にこなしていたらしい。
 ジェラートとソルベもそうだった。あの二人は相棒だった。自分たちのチームで特定の相棒をもつ者は他にいなかった。あの二人だけだった。
 プロシュートは、二人の仇を討ちたいわけじゃない。ただ汚された誇りは自分たちの手で取り戻したかった。曇ってしまったガラスナイフ。元はうつくしかった。もう使い物にならない。

西風の見たもの2 all パロ


※全員が貴族の兄弟パロディの続き. 前作はココ





 目の前に現れたそれをリゾットはプロシュート2号と名付けた。
 いや、見た目はまったく似ていないが。なんとなく10歳ぐらいの頃のプロシュートを思い出させるのだ。動きが。
「俺はよォ~~べつにかーちゃんが死んだからって、あんたらに引き取ってもらわなくても、ひとりでだって生きていけたんだ、むしろそっちのが望ましかったぜ、いまさら家族だとか兄弟だとか、そんなもんよォ、いらねーからな。じゃあなんでここまで大人しくついてきたかって、まぁなんつーか、そう、成り行きだよ成り行き。あとこんなヤクザ丸だしの野郎が送り込まれてきたら、とりあえずは言うこと聞いておくかって、善良な市民なら思うはずだぜ」
「オイオイオイだぁ~れがヤクザ丸だしだって?ええ?オメー来るまでに俺が話したこともう忘れたのか?パティシエだっつってんだろーがよォ~」
 ホルマジオがくるくる巻き毛の後頭部をはたく。すると光速で巻き毛の少年が回し蹴りを返した。
 そういう手癖の悪さもやっぱりプロシュートに似てる。さすが2号。
「……それで、」
 腕組みしてリゾットが声をだすと、少年もホルマジオもぴたっと動きを止めた。空気は読めるらしい。
「スクールは通ってなかったのか。少年」
「少年じゃねえ、俺にはギアッチョという立派な名前がだな」
「じゃあ初対面の人と会ったときは自分からきちんと明確に名乗れ。スクールにも通わずまともな社会性も持ち合わせてない馬鹿と判断されてもしかたないぞ」
「………」
「正~論だな」
 ギアッチョの心の声をホルマジオが代弁した。返す言葉のないギアッチョは舌打ちを鳴らすのみだ。
「…名前はギアッチョだよッ!G-h-i-a-c-c-i-o。2年前まではスクール行ってた、役所の補助でな。自分の名前は書ける」
「人に言えない悪癖はあるか?」
「ハァ~?なんだよそれ」
「これから同じ住居に住む奴が、猫の死体を集めるクセとか持ってたりしたら厄介だろう。事前に知っておきたい」
「事前に知ってどうにかなるのかよそれはッ!あとな、俺はさっきも言ったがよぉ、別に来たくてここに来たわけじゃあねーんだ!そんなに嫌々なら、こんなごたいそうなお屋敷に住まわせていただかなくても結構だぜ!」
「俺はおまえを引き取る義務がある。血縁者だからな。戸籍上の縁者が存在するのにストリートチルドレンになんかなって役所に保護されることになったら、結局俺たちがおまえを養育するよう役所に言いつけられる。なら最初から引き取ったほうが早い。どうしたっておまえの存在は俺たちに迷惑をかけることになるんだから、面倒な抵抗してないで世話になっておけ」
「帰る!!!」
 すばやく回れ右して走り出そうとしたギアッチョの首根っこを、ホルマジオがつかんで止めた。猫の子のようにギアッチョは足をバタつかせる。
「まぁまぁ待て待て。リゾットの言うとおりだ。おとなしく世話になっとけって」
「イヤだね!いっしょに暮らす人間を選ぶ権利ぐらい俺にだってあるぜ!」
「ん~オメーの言いたいことはわかるがよォ、父親も母親もいねえおまえがこの先どうしたって一人で生きていけるもんじゃねぇことも、わかってんだろ?だいたい帰るってオメー、どこに帰るっつーんだ?オメーの帰る家はねえんだよ。ここしかな」
「ギアッチョ」
 ホルマジオにつかまえられてるギアッチョの正面に、リゾットは回り込んだ。
 ギアッチョはメガネの奥からリゾットを睨みつける。
「俺は今まで3人の『兄弟』をこの館に迎え入れてきた。そのうちの2人は今はいねえがな…元からこの館に住んでた奴らも全員等しく、俺にとっちゃ『兄弟』だ。俺らは母親は別だが、たしかにこの館のあるじだった男の血を引いてる。それだけでおまえは、ここに住む権利がある。俺はここに住む権利のある奴を拒否しない。歓迎もしないが、俺はおまえを受け入れる用意がある。どうする」
「…………ケッ」
 どうするもクソも、と毒づきながらギアッチョは目をそらした。




 乱暴に開いた扉は乱暴に閉められた。イルーゾォの部屋の扉をこんな風に扱うのは一人しかいない。
「イルーゾォ?いるんだろ?」
「いるよ。扉を乱暴に扱うな」
「夕食会は全員強制参加だぜ。ひさびさにホルマジオのやつも帰ってきてる」
 相変わらずメローネは人の話を聞いていない。イルーゾォは深く座り込んでいたソファから立ち上がって、読みかけの本をベッドに放った。
 イルーゾォがいるのは、廊下につながる部屋よりさらに奥まった書斎のようなところだ。誰にも邪魔されず時間を過ごすにはここが一番いい。屋敷のなかの騒音も、ここまでは届かない。
 廊下側の部屋からメローネがひょっこり顔だけのぞかせた。
「例の新しい『兄弟』、さっき玄関で見かけたけど、すっげえ髪型」
「髪型はおまえだって変だろ」
「くりんくりんの巻き毛。それにメガネ」
 両手でメガネのような形を作る。メローネが妙にご機嫌だ。イルーゾォは悪い予感しかしなかった。
「また新入りで遊ぶ気だろ、メローネ」
「言葉が不適切だな、イルーゾォ。かまってやってるんだよ」
 かつてペッシが初めてこの屋敷にやってきた日も、メローネはこの調子だった。
 ペッシは一週間、メローネからの『集中砲火』を受け、なんとか耐え抜いた。そうして結果的になぜかプロシュートがペッシの保護者になっていた。
「まさかプロシュートがペッシをかばうなんて思わなかったからなぁ、今回はどうろう。プロシュートはやっぱりかばうと思う?自分と母親のちがう『弟』を」
「おまえ、バラバラにしたいのか。俺たちを」
 リゾットが守りたがってる『兄弟』を。
 メローネは、イルーゾォを横目に見て、灰色に緑のまじった瞳を細めてみせた。マスク越しにもその笑みは不穏なものだった。
 イルーゾォは、自分の片割れであるはずのこの男のことが、なにひとつ理解できない。




 テラスから見える空はすでに夕暮れの赤色を失い濃い紺へと変色しつつある。
 殴られた痕みたいだ。プロシュートは自分の思考の阿呆さ加減にテンションが下がった。座ってるベンチの横あたりを手探り、メローネが置いていった煙草ケースをつかむ。
 新しいのを一本くわえ、マッチを擦った。メローネには自ら禁煙宣言したが、今から兄弟全員そろっての夕食会に出なければならないことを思うと、一本ぐらい吸っておかなければやってられない。できれば夕食時にも煙草を持ち込みたいが、それをしたらまた懲罰房に逆戻りだ。
「あ、兄貴ィ、リゾットが、」
「わかってる」
 背後からガサガサと草をかき分ける音をたてながらペッシが現れる。
 ペッシはあまりこの庭園が好きじゃなかったはずだ。たくさん薔薇が咲き乱れてるから、トゲに引っかかるし、居心地が悪いらしい。なのにわざわざやって来たのは、リゾットからプロシュートを呼んでくるよう言付かったからで、プロシュートのためを思ってだろう。
 プロシュートもそれがわかったから、煙草をくわえたまま振り向いて、ペッシに笑いかけてみた。ペッシが、あきらかに安堵した表情をみせる。この屋敷に連れてこられたばかりの頃によく見せた顔だった。
「兄貴、元気そうでよかった。今回は懲罰が長かったから、オレ心配したんですぜ」
「ああ、悪かったな、ペッシ。俺がいない間、メローネやリゾットの野郎にイジメられなかったか?」
「それが聞いてくだせぇよ、メローネがまた俺を庭の池に突き落として…」
「このマンモーニがッ!!!」
 握りつぶした煙草ケースを全力で投げつけると、ペッシはヒィィッと声をあげて尻餅をついた。ソフトケースといえどプロシュートが投げたらメジャーリーグの危険球だ。
「何回言わすんだオメー自分の身は自分で守れッ!やられたら数倍にしてやり返せッ!じゃなきゃあテメーは一生ここで飼われるんだぜわかってんのかァ!?」
「ヒィッ!怒らないでくれよォ兄貴ィッ!!」
 ペッシは半ベソかきながら頭を抱えてうずくまっている。まるで戦場で降り注ぐ焼夷弾に脅える下等兵だ。
 プロシュートはフンと鼻を鳴らし、ペッシにこっち来いと手招きする。
 ビクビクと及び腰で近づくペッシの首に腕をまわし、グイッと引き寄せ、おでこをコツンと突き合わせた。
「いいか?オメーはちゃんと反撃する力をもってんだ。力をもたねぇ弱虫なんかじゃねえんだ。胸をはれ。反撃しろ。オメーにはその力も権利もある」
「で、でも兄貴ッ、相手はメローネだぜ…正当な血筋の人らに、手なんかあげちゃあマズイよ…」
「ハッ!正当な血筋?関係あるか。こっから出りゃあな、ペッシ、血筋がどうとか、そんなのなんの足しにもなんねーんだ。テメーの手とテメーの力で、道を切り開いてくしかなくなるんだぜ。わかるか?血筋や家柄なんてもんに頼ってるやつは、いつまでたっても自立できねぇマンモーニだ。オメーはそんなくだらねー男になるんじゃねえ。いいな?ペッシ」
「う、うん、わかったよ、兄貴…」
 ペッシがうなずいたのにうなずき返して、プロシュートはペッシを解放してやった。
 こういった教えは、ペッシがこの屋敷に連れて来られて、ビクビクと震えながらプロシュートの元に挨拶に来た時から、毎日のように叩き込んできたことだ。
 そう、文字通り叩き込んできた。時に殴り時に蹴り、時に励ましてやりながら。
 本妻の子じゃないが元からこの屋敷に住んでいたプロシュートやホルマジオとちがって、ペッシは外から連れて来られ、リゾットに教育された。だから普通以上に、リゾットたち『正当な血筋』の者と、自分たち『正当じゃない血筋』の者の区別がはっきりしていた。ペッシは常に『正当な血筋』の者たちを恐れていた。
 そんなんじゃあダメだ。プロシュートは自然とペッシをきたえるようになった。
 ペッシは今はこの屋敷にいても、いずれ出て行かなければならない。その時にはもう、『家』や『兄弟』には頼らず、一人で生きていけるようになってなければならないのだ。きたえてやる必要があった。さいわいペッシには素地がある。
「ったく、今日からまた新しく『兄弟』が増えるってのに、オメーがそんなんで大丈夫か?メローネの話じゃオメーより年上らしいが、末っ子だからっていつまでも兄貴たちにイジメられてんじゃあねーぜ…」
「あ、そうだ、その新しい『兄弟』が来るから、もう夕食にいかなきゃ、兄貴」
「ああ…」
 すっかり忘れていた。この一本吸い終わるまで待てと告げて、プロシュートは煙を吐いた。
 ペッシが『兄貴』と呼ぶのはプロシュートだけだ。

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