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もう海になんていかない r.m


 その時メローネは濃いコーヒーが飲みたいとおもった。
 いつも篭ってる自室を出て、階段を降りたら、リビングのソファで母親が見知らぬ男の上に乗っかってアンアン鳴いていた。いつものことだ。メローネはリビングを素通りしてキッチンへ足を向ける。娼婦をやめたって母親は男を連れ込むのをやめなかったし、父親は妻の不義理を責めようとせず、ただ妻と家庭から距離をとりつづけた。そんな夫に当てつけるようにして、女はまた道ばたの男に声をかけ抱いてと乞う。いつものことだ。
 インスタントのコーヒー粉に湯だけそそいだマグカップを持ち、キッチンを出た時、メローネの耳に聞き慣れないか細い悲鳴が届いた。
 喘ぎでも絶頂でもない、女の声だった。目をやると、さっきと逆に男が母親の体に乗り上げ、両手で首を締めている。プレイの一環かとおもった。でもちがった。母親はそのまま、目をひんむいて絶命した。細い指が首を締めてくる男の腕にからまり、いくつも引っ掻き傷をつくっていたのを、メローネはよく覚えている。
 メローネはキッチンに戻って、濃いコーヒーの入ったマグを置き、かわりに果物ナイフを持った。それで、気がついたらシンクで、血に染まった真っ赤な両手を洗っていた。
 手にからみついた二人分の血は、水に薄められながら大量に流れていった。排水溝に幾筋も、長い髪が詰まる。あとから当時の新聞を読んでメローネ自身も初めて知ったことだが、男の死体は顔もわからぬメッタ刺し、女の死体はパズルのように均等に断裁され分解されていた。メローネのやったことだ。貧しいスラム街の一角で起きた、悲惨な、でもありふれた話。いつものこと。メローネは初めて人を殺した時より、その後、濃いコーヒーの入ったマグを持って階上に上がり、自分の部屋でパソコンを開いた時の方が、よほど記憶に残っている。


 海に面した街での仕事だった。メローネは波除けのコンクリートの上に立って、漫然と砂浜の白さを眺めていた。夏は観光客のあふれるビーチなんだろうが、オフシーズンの今、浜辺にはヤドカリ一匹見当たらない。でもメローネは視力がいい方じゃないから、本当にヤドカリ一匹いないかどうかはわからない。
「Excuse me」
 振り向くと、恋人同士らしき若い男女が、明るい笑顔でメローネを見ていた。
「Would you take a picture?」
「Sure」
 差し出されたカメラを手にし、メローネはレンズを観光客らしき彼らに向けた。二人は肩を寄せあい、互いの腰を抱く。女の、長くやわらかそうな髪が潮風にふくらんだ。
 一度シャッターを押して、カメラを返す。男の方が手を伸ばして、受け取った。
「Thanks」
「You're welcome」
 男が女の肩を抱いて、二人は見つめあいながら海岸沿いの道を歩いていく。メローネはその後ろ姿を見送りながら、視界にちらちらと入る自分の長い髪が邪魔だなとおもっていた。ミルクティーみたいなくすんだ金髪。母も父らしき男も髪は深いブラウンだったから、メローネのそれは隔世遺伝なのかもしれない。
 遺伝は重要だ。それが人生の半分を決める。メローネはそうおもっている。
 さっきの二人はアメリカ人だろうか。ブリティッシュイングリッシュではなかった。
「俺はもう帰るが。おまえはまだいるのか、メローネ」
「……」
 長い髪を耳にかけると、開けた視界にリゾットの姿があった。海と、空と、リゾット。普段なら笑ってしまうほど似合わない取り合わせだけど、冬の灰色がかった空と暗い海は、漆黒の暗殺者によく似合う。
「Where there is no love, there is no sense either」
「…なんだ?」
「愛なきところに良識なしって意味さ。リゾット」
 あまり英語が得意とはいえない我らのリーダーは、特別興味もなさげにフンと鼻を鳴らしただけで、きびすを返してしまう。メローネはゆっくりした足どりでその後を追った。
「裏返せば良識のないヤツは愛を与えられなかったってことになる。俺らのチームで、誰かひとりでも良識のあるヤツがいるか?残念なことに、みんなない」
「その代表がおまえだろうな」
「そうだよ。だから俺は『ベイビィ』を育てるのが上手なんだ。愛を知らない子供が育てた子供。だけど彼らは学習する。いずれ愛というものを知るかもしれない。知ったら求めるかもしれない」
「そんなのがいたのか、今までに、おまえのスタンドで?」
「ああ、マードレってなんだ、マードレに会いたいって言ってたやつはいたな」
 冷たい潮風を横殴りに受け、目の前を行くリゾットの髪がバサバサとなぶられている。リゾットの髪はしろがねに近い、鉄のようににぶい色。それはどんよりとした冬空によくなじんで、不穏な光景をつくりあげていた。切り裂けば、赤がにじみでるその不穏さ。
「スタンドを解除すれば『ベイビィ』たちは消滅する。たいていは、そんなことさえ気付かずみんな消えてくけど、中には、学習するのが早かったり、『母親』の素質によって、『死』だとか、『愛』だとかを認識するやつもいる。知ってるかい、リゾット。ひとってのは愛を知るから死を恐れる。愛を知らなければ死など恐れない。俺のスタンドにもっとも不必要なものだ…『愛』」
「たしかに良識などないほうがこの仕事には向いてる」
 その意味でおまえは100点満点だメローネ、とこちらを振り向くこともなくリゾットが言ってのけるから、メローネは唇に薄い笑みをはりつかせた。この、暗殺のために生まれたスタンドをもつ組織随一の暗殺者に、100点満点をもらうなど、誇らしい以外のなにものでもない。
 長い髪を押さえつけ、耳にかけて、メローネは目を閉じる。髪の色は、親からの遺伝じゃない。目が悪いのは、母からの遺伝だ。ブリティッシュイングリッシュは、父譲りだ。だからアメリカンコミックやアメリカ産のアニメを見るギアッチョとは、時々互いの英語を馬鹿にしあう。
 愛がなければ良識など育たない。良識とはなにかと問われたらメローネはうまく答えられないが、少なくとも良識あるひとなら、自分の母親の死体を細切れにしたりはしないんだろう。メローネはギャング仲間からも異常者と呼ばれる。そのとおりだ。メローネは、自分を正常だといいきれるほど傲慢じゃない。スタンド能力にしたって、ホルマジオやギアッチョのように、素直なものじゃない。
 顔をあげる。人通りのない海岸沿いの道に、リゾットがぽつんと立っている。どうしたという風な顏して、こっちを振り向いている。
 メローネは笑みを見せた。それからさっき以上にゆっくりと、リゾットの元へ向かう。
「どっかに寄らない?リーダー。濃いコーヒーが飲みたい」
「おまえはエスプレッソよりコーヒーをよく飲むな」
「ひとを殺したあとはとくにね。飲まないと落ち着かない。行こう」
 メローネが、自分の方を振り向いてくれる人を手に入れたのは、ここ最近だ。それまでは誰もがメローネを、怪訝な顔して通り過ぎるか、見ないふりをした。愛を与えようとしなかった。
 初めて海を見たのは、初めて人を殺した、あのあと、開いたパソコンのインターネット上で。家を出るなら海にいこうとおもったのだ。死のうとおもった。罪悪感でも後悔でもない。ひとを殺しても揺らぐことが一切ない自分を変えるには、死ぬしかなかった。
「海なんか嫌いだ」
「なぜだ?」
「潮風ってしょっぱいだろ。髪も服もべたべたになるし」
 冬の海に溶け込むリゾットがうらやましい。髪色は親の遺伝がよかった。悪い部分しか遺伝していない。

ソファと、それにまつわる人々 all


 リビングにはソファが3つある。6人掛けのL字型が1つ、1人掛けが2つ。ぎゅうっと詰めれば全員が座れるが、いい年した男たちが縮こまって肌を密着させぎゅうっと座るなんてありえない。それに彼らはギャングだ。

「あー……」
 ホルマジオはL字型ソファの片側いっぱいに体を伸ばして寝転んでいて、さっきから携帯電話をカチカチさせながらあーだのうーだのうなっている。ギアッチョがいれば3秒でキレるだろうが、今いるのはペッシだけだ。
 そのペッシは一人掛けのソファにきちんと座って、どこかで取ってきたフリーペーパーに見入っている。
「…よぉ、ペッシよぉ〜〜」
「……えっ!?なんだい、何か言った?ホルマジオ」
 ホルマジオは寝転がったまま、ペッシに向かって携帯を振った。
「どうしたらいいと思う?」
「えっなにが?」
「連絡がよぉ〜〜来ねーんだよなぁ、するってゆってたのによぉ」
「誰から?」
「昨日ナンパしたねーちゃん」
 唐突にペッシは顔を赤くして、急いで目線を手元の雑誌に戻した。それからもう一度、ちらっとソファに寝転ぶホルマジオを見る。
「街中でそんな、声かけた女の人と連絡とるなんてさ、ホルマジオ…よくねーんじゃねえのかい?」
「おいおいおいペッシよぉ!おめーはそれでもイタリア男かぁ?えぇ?」
 ホルマジオはがばりと上半身だけ起こして、ついでに灰の長くなった煙草をローテーブルの灰皿に押しつけた。
「女とのコミュニケーションは日々の潤いだぜ?街中でさっき知り合った女だって俺には等しく女だ、声かけてデートにお誘いするのが礼儀ってもんだろ」
「だってさぁ…俺たちギャングだぜ?」
「ギャングつったってひとりの男だろォーが。この世には『男』と『女』!その2種類しかいねえ、そうだろ?おめーはどっちだ?男か?女か?」
「そりゃあ男だ」
「だろ?じゃあイイ女のひとりやふたり、ナンパして落としてこい。なんだ、おめーの『兄貴』はそうゆう面倒はみてくれねーのか?」
 ホルマジオがニヤリと笑むと、ペッシは赤くなった顔を今度は青くして首が取れるんじゃないかと思うほどはげしく横に振った。
「そっ!そんなのっ!やめてくれよ、兄貴に殺されちまう」
「はぁぁぁ〜〜〜おめーなぁ…殺されちまうなんて情けねーこと言ってんなよぉ。たまには反撃してみろって、おめーの『ビーチボーイ』で」
「そんなことしたらマジでおいら死んじまうってェ!!」
「まーな……」
 本気で狼狽しているペッシを見ているとなんだか可哀相になってきて、ホルマジオは再びソファに寝転がった。携帯のメールボックスをチェックしても、新着メールはゼロ。思わずため息がでる。


「こないだ仕事の前に行った店あっただろ?カルパッチョのうまい店」
「駅前の?」
「そう。あそこにいた黒髪の女、店やめちゃったらしいんだよな。すげーイイかんじだったのに、俺らのことまるで『なによ、汚いブタ箱から這い出てきたみたいな顔しやがって』って目で見てきただろ?あれはよかったね。せっかく『ベイビィフェイス』の母親候補にいれてたのにさぁ」
「おまえの女の好みに俺が賛同するとでも思ったかよ」
 イルーゾォは立てた膝の上で思いっきり顔をしかめてメローネを見る。メローネはL字型ソファの端っこにだらりと上半身を預け、猫みたいにソファの上に体を横たえている。
 そのもう片側はホルマジオが占拠して仰向けで堂々と昼寝中。ソファから落ちたホルマジオの右手には携帯電話が握られている。イルーゾォがここに来た時からその体勢で寝ていた。一体この男はいつからここにいるのか。
 イルーゾォは借りてきた映画をみようとリビングにやってきて、一人掛けソファに立て膝して座りテレビ画面の方を向いていたわけだが、さっきからメローネがなんだかんだと話しかけてくるから、映画の内容がまったく頭に入ってこない。やっぱり鏡の中で見ればよかったと思うが、あんまり引きこもりすぎると鏡をベイビィフェイスに分解されるのでそれもよろしくない。
 テレビ画面に目を戻すと、さっき結ばれた男女がもう泣きわめいて喧嘩してる。展開早いな。
「その女優、あれだろ、ヤクのやり過ぎでトチ狂って無銭飲食したり万引きくりかえしてたやつ。いつのまに復帰してたんだ?」
「知らねー…ああもう、話しかけるなよ画面に集中できない。ちょっと黙ってて」
「ポーカーやろうぜ。おまえが勝ったら黙っててやる」
「俺は映画見てるんだよ!誰がやるか!」
 要するにメローネは暇でしかたないのだ。結果2人の攻防はキレたイルーゾォが鏡に引きこもるまで続く。


 ギアッチョが2階のフロアから降りてくると、リビングのソファでホルマジオが携帯をいじっていた。他は誰もいない。
「メローネの野郎見なかったか?」
「あー?さっき出てったぜ。キッチンじゃねぇかぁ〜?」
 ホルマジオは答えながら大きなあくびを漏らす。さっきまで寝てたからよぉ、という彼の口調がいつも以上に間延びしてるのは眠気のせいだろう。それでいて右手はカチカチと携帯電話を叩いている。忙しいことだ。
「また女かよ。昨日の晩も寝てねーとかゆうんじゃねえだろーな」
「フン、ホルマジオさんは案外モテモテなんだぜぇ?ひとり紹介してやろーか、ギアッチョ」
「ケッ金のかからねー奴ならな」
「女ってのぁ金のかかる生き物なんだよ、生まれた時からな」
 L字のソファの背に片腕をのせ、行儀悪く足を組んでホルマジオは得意げに鼻を鳴らす。さして興味もなく、ギアッチョは適当に片手を振った。
「あー猛烈に腹が減った。あの変態ヤローなんか作ってやがんねえかな」
「メローネがする料理なんてレンジでチンレベルだろォ〜」
「なんでもいいから飯が食いてぇ…」
「オイ、俺にそんな小羊のような目線を送るなよ。おごらねーぞォ」
「ケチくせぇなァァ〜〜女にばっか金使ってんじゃねーぞクソッ」
「おめーに使うよりは金も喜ぶぜ」
 ギアッチョがホルマジオにたかるのを諦めてキッチンに向かおうとした時、まさにそのキッチンのドアを開けてメローネが現れた。口のまわりにトマトソースがついている。
「その匂いは!ピザトースト食ってやがったなッ!?」
「Appunto(そのとーり)」
「まだ残ってるか!?」
「きれいさっぱり食いきったよ」
 ああ〜〜〜と悲哀に満ちた声をあげながら頭と空腹を抱え座り込んでしまったギアッチョを見下ろして、それからメローネはホルマジオの方を見た。
「なにこのかわいそうな子」
「キャットフードでも与えとけや」
 ようやく絶望からは立ち直ったらしいが空腹からは立ち直れてないギアッチョは、一人掛けのソファに斜めに座って斜めに腰をねじり斜めに首をかしげて、つまらない夜のクイズ番組を斜めに見ている。メローネはL字型のちょうど直角の部分に座り、組んで伸ばした足をローテーブルに乗せ、パソコンをいじっていた。ネットオークションで落としたいものがあるらしい。ホルマジオはL字の端に陣取ってやはり携帯電話をカチカチ鳴らしている。
 玄関につづく廊下側の扉が開く。プロシュートが入ってきた。うしろにはリゾットがいる。
「お」
「ホルマジオ、いいところにいた」
「なんだ?イイ女でもつかまえたか?それ以外の用件はお断りだぜ」
 ガバッと身を乗り出したホルマジオに、リゾットは肩をすくめてみせる。当然のようにそれ以外の用件らしい。
 さっさとリビングに入ってきたプロシュートは鍵の束とサイフとライターをソファの目の前のローテーブルに放り投げ(ガチャン!と騒々しい金属音が鳴った)、ひとまず紫煙を吐き出してから、煙草を挟んだ指をメローネとギアッチョ、それぞれに突きつける。
「とっとと散れ、おめーら。ちょっとオトナの話し合いだ」
「はァー!?今いいとこなんだよ、あのイケてないセーター着た俳優が500万の賞金を手にするかどうかっつう、重大な局面だぜ!」
「世界一どうだっていいねそんなもん。2秒数えるうちに出てけ。いいか、ウーノドゥーエはい遅ェッ!!!」
「うおおおッ!!??」
 瞬時にプロシュートの手から放たれた煙草はまるで弾丸のようなスピードでギアッチョの顔面を襲った。とっさにホワイトアルバムを発動させなければ完全に眉間に火傷だ。
「テメェェエエ早すぎだろうがッ!!数えんのもキレんのも煙草投げんのも早すぎだろうがクソがァァッ!!」
「うるせーな……」
「しかも冷めんのも早ェッ!!」
「あーあ、うっさいなぁもう、上あがってよ〜っと。リゾット、ピザ宅配するなら呼べよ」
「海鮮ピッツァでいいならな」
「エビ抜きでね」
 パソコンを閉じてメローネは早々と上のフロアへ上がってしまう。プロシュートが取り合わないのでギアッチョも渋々テレビを消して上へあがっていった。元からテレビなんぞ見ていなかったにちがいない。
 音のなくなったリビングを横切って、リゾットはL字ソファの片側に腰をおろした。深々と体をソファの背に沈ませる。お疲れのご様子だ。ホルマジオはニヤリと口の端をあげる。
「どうしたァ、またこってりしぼられたか、上の連中によぉ」
「まぁそんなところだ」
「あの老いぼれジジイどもがいるかぎりパッショーネは安泰だな。あいつら仙人かなんかじゃねぇか」
 プロシュートはローテーブルの前に立ったまま、新しい煙草を引き出してくわえる。火をつけてゆったり吸い込み、紫煙を吐き出す。煙が彼のスタンドのように体を取り巻く。
「資金面に関してなんだかんだ言われるのは慣れてるが、ああも堂々と俺らのチームの存在自体が目障りだと主張されると、反応に困る」
「はぁ〜しょおがねぇなぁ〜そりゃあ」
「よく言うぜ、てめー薄ら笑い浮かべてたぞあん時」
 ホルマジオもプロシュートから一本拝借して煙を吸い込む。プロシュートはローテーブルに腰をおろして足を組んだ。絶妙に3人ともが向かい合ってない。
「それで?このホルマジオさんに話ってぇのは?その仙人の中の誰かでも殺してこいってかぁ?」
「バカ言うな。俺の愚痴に付き合えって話だ」
「はっは、なんだそんなことかよ。俺は良心的だからよ、ビール一杯で付き合ってやるぜ?」
 ホルマジオはソファの上に立てた膝の上に手をのせ肩を揺らし笑う。その視線の先にいるリゾットもニヤッと笑みを返した。
 それからホルマジオの煙草をはさんだ指が、ローテーブルに座るプロシュートに向けられる。
「こいつはあんたの愚痴には付き合ってくれねぇのか?」
「さっき愚痴りかけたらケツ蹴り食らった」
「容赦ねぇなオイ」
「てめーの寝言なんざ聞きたくないね、マンモーニが」
「だそうだ」
 斜め上から見下す角度で煙を吐くプロシュートに、ホルマジオはやはり肩を揺らした。
「あ、兄貴ィ、リーダーも、帰ってたんですかい」
 2階フロアから降りてきたのはペッシだ。寝起きなのか、いつもはセットしてある髪がペたりと頼りなく崩れている。
「ペッシ、赤ワイン一本もってこい。トスカーナのやつ」
「俺はエスプレッソをたのむ」
「俺ビール。リゾットのおごりな」
「えええ…そんなにいっぺんに言われちゃあ覚えらんねぇですよ……ええっとぉ、トスカーナにビールに…赤のワイン…」
 指折りブツブツ唱えながらペッシはソファの後ろを横切ってキッチンへ消えていく。3人でそれをなんとなしに見送る。
「あの調子じゃあなんか忘れるか間違えるかするぜ」
「エスプレッソを忘れるのに賭ける」
「てめーがたのんだもん忘れるのに賭けんなよ、情けねえ」
 予想通りエスプレッソを忘れたペッシがプロシュートのローキックを食らう頃には、なんの匂いを嗅ぎつけてかメローネが降りてきて、ソファに敷かれたラグに座り込んでトスカーナワインを開けだした。いつのまにか鏡から出てきたイルーゾォも、ビール瓶片手に一人掛けソファに陣取っている。グラスが足りねぇツマミ買いにいけと騒がしくなってきた頃にはウルセェェエーーーーッという一番うるさい声とともにギアッチョも登場して、ラグに座り込みソファに肘ついて文句を垂れだした。プロシュートはもうひとつの一人掛けで足をぞんざいに組み、ペッシはローテーブルをのけてラグの上にグラスとツマミを広げる。ソファでなくても、全員分の居場所がここにはある。

子供の領分、大人の領分 r.p.m.g


「おい変態」
「なんだガキ」
「見てみろよ、あれ」
 助手席でノートパソコンを広げデータをいじっていたメローネは、そこでようやく顔を上げた。横の運転席でハンドルにもたれかかっているギアッチョの指し示す方向を見る。
 反対車線を挟んで向こうの通りには、見慣れた男が二人と、彼らの前に、女がひとり。
「いい体してるな。とくに二の腕のあたりの肉づきがベネ」
「どっちの女だと思うよ」
「プロシュートの好みとは思えないし、リゾットかな。どっちにしろああゆうのがタイプだったら意外だけど」
「オッサンはわりと幼女趣味が多いって聞くぜ。俺はプロシュートの野郎でもおかしくないと思うね。あいつらそんな変わんねぇだろ」
「なにが?」
「年。リゾットとプロシュートの」
「さぁ、知らないけど。年齢で女の好み決めつけるとしたら、おまえは胸も尻も出まくってるアメリカン・ガールがお好みか?ギアッチョ」
「ケッ、俺はコレクションモデルみてぇなスラッとしたのが好みだぜ」
 女は、リゾットとプロシュートの方を見ていて、こっちからは後ろ姿しかわからないが、おそらく若いだろう。ヨーロッパ人にしては背が低いが、後ろから見てもグラマラスな体つきをしている。
 ギアッチョとメローネが車中でいい加減な会話を交わしてるうちに、プロシュートがこっちに気付いた。リゾットに二、三言話して、女が引き止めようとするのを無視し、さっさと車道を渡ってきてしまう。道路交通法を軽々と破った横断っぷりに、行き交う車たちからクラクションの雨嵐だ。
「チッ、あの馬鹿」
 いつも目立つ行動はすんなとか注意してきやがるくせによォ…。ギアッチョが毒づいてるうちに、悠々と車道を渡ってきたプロシュートが後部座席に乗り込んでくる。
「チャオ」
「オイ、どっちの女だよありゃあ」
「あ?あーリゾットだ」
「マジかよ!」
「俺の勝ち。ギアッチョ、金だしな」
「オイオイオイ俺ァ金賭けるなんていってねーぞ」
「おめー俺に賭けてたのかよギアッチョ。見る目がねぇ、やっぱガキだな」
「黙ってろテメーがしゃべると無駄なエネルギー浪費すんだよクソがッ!」
 なにか蹴りたかったのだろうが運転席の足元には蹴れるものもなく、ギアッチョは仕方なしにハンドルに拳を思いきり叩きつけた。けたたましいクラクションが鳴る。
「おい。やかましいぞ。なにしてる」
 遅れて後部座席に乗り込んできたリゾットが、幾分不機嫌そうな声を放つ。見回しても周りに女の姿はない。
「なんだよリーダー、フラれたのか?せっかくあの二の腕を間近で味わいたかったのに」
「アンタがああゆうの趣味とは、意外だけどある意味納得だぜ。体のでっかい男とチビの女が腕からませて歩いてるの、よく見るもんなぁ」
「プロシュート」
「俺はなにも言ってねえ」
 知らん顔で煙草をふかすプロシュートに、ウソつけてめーがリゾットの女だっつったんだろォーがァー、往生際悪ぃぜプロ兄ィ〜、と運転席および助手席から文句が飛んでくる。
「うるせーなガキども、ほらとっとと発進しろ。リゾットの熱烈なカノジョが追っかけてきちまうだろーが」
「イッテェ!テメーその足癖の悪さどうにかしろッ!」
 プロシュートが遠慮なく後部座席からシートを蹴りつけたものだから、運転席のギアッチョはお返しとばかりに思いきりアクセルを踏み込んで急発進した。
 つんのめってシートに頭でもぶつけろと思ったのだろうが、そこは足のお行儀に定評のあるプロシュート、上げた足で運転席のシートを踏みつけ、前のめりに倒れるのを阻止。それを知ってまた苛々三割増しのギアッチョが盛大なクラクションを鳴らし、その後ろでプロシュートは鼻を鳴らしている。
 付き合いの長いリゾットや要領のいいメローネは、もはやそんなことでプロシュートにつっかかったりしないが、ギアッチョは性格上どうしても無視できないから、この二人の攻防は永遠に終わることはないんだろう。プロシュートに至っては完全にギアッチョで遊んでいる。たまに反撃にあってるが。
「熱烈なカノジョってどうゆうことだよリーダァ〜。俺らには紹介してくれないのかよ?」
「黙って前みてろ。まちがってもおまえには紹介しねえ」
「ヒュウ!カノジョってのは否定しないのか」
 シートから顔をのぞかせて嬉しそうに茶化してくるメローネに、リゾットはうんざりした顔で答え、となりのプロシュートを見る。おまえがなんとかしろという目線だったが、そんなものプロシュートが意に介するはずもなく、
「やめとけメローネ、あれはマジの相手なんだからよ。こいつの性格わかんだろ、大切な愛は、そっと守ってゆっくり育んでいこうってタイプだ。やわらなか羽毛でひなを守る親鳥みてえにな。大切な彼女を、ギャングなんて下世話な連中に突き合わすはずねーよ」
「オイ待てテメーはどうなんだテメーは?彼女と会わせてもらってんじゃねーか。人一倍下世話なくせによぉ」
「ギアッチョおめー口の聞き方には気をつけな?ハンカチもってるか?貸してやろう。今からおめーはいっぱい鼻血を噴くからな」
「車中で暴れるなよ」
「つーかギアッチョが鼻血噴くほど殴られたら運転どうすんだよ、俺二輪専門だぜ」
「ダセェ。これぐらい運転できるようにしとけ。女をデートに連れてけねぇぜ」
「やだね四輪なんて、みっつ以上足があるものは嫌いなんだ」
 スピードにのる車は都心を抜け、旧市街地へ入る。大きく視界が開け、鮮やかなスカイブルーとエメラルドグリーンにきらめく海面が踊りでてきた。南イタリアらしい白壁の通りが続く。
「あ〜〜ちくしょう、こんないい天気の日に野郎ばっかでドライブとはよォ〜〜俺の愛車も泣いてるぜぇクソッ」
「まったくだよ。リゾットが彼女連れてきてくれたら、楽しいドライブになっただろうにさ」
「一応言っておくが個人的に親密な付き合いをしている女とあんな街中で会うと思うか」
「そーだぜギアッチョ、そんなこともわかんないなんてやっぱガキだな」
「テメーも真に受けてたんじゃねーかよッ!?」
「うるせーぞガキども。次に叫んだら二人まとめて車から放り出す」
「つーか元凶はテメーだろうがオッサン!!」
「死にてぇらしいなグレイトフルデッドッ!!!」
「死ぬのはテメーだホワイトアルバムッ!!!」
「ふたりともメタリカ」
「ちょっとオイ俺も射程距離な…ブハァッ!!」

さよならの作法 r.p


 プロシュートはホルマジオが少し苦手だったとおもう。嫌いなのではない。ホルマジオは気持ちのいい男で、力みすぎず熱すぎず冷めすぎず、いつだって適度な対応で人の輪になじむ、プロシュートとはまったくちがうタイプの兄貴分だった。世間からはじかれた、突拍子もないキャラクターばかりのこのチームで、一番一般社会に近い感覚をもっていて、そのくせギャングの仕事も申し分なくこなす。何かと衝突の多いメンバーの間で緩衝剤となることも多かった。いなければいないで気にならないし、いたらいたで気にならない。そうゆう存在は、ふだん空気のように意識されることは少ないが、いなくなってようやくその貴重さがわかる。

 ホルマジオの死体を回収してきたのはギアッチョだ。今は奥の部屋の裸のパイプベッドに寝かされている。
 明日には埋葬しなければかなり臭うだろう。ガソリンに焼かれたらしい死体の損壊状態はかなり激しい。ギアッチョが抱き上げた時、その体はまるで焼きたてのピッツァのように熱かったという。ホワイトアルバムで冷却しながら車に載せたほどだ。
 遺体を寝かせてある部屋から出ると、リビングのソファにリゾットが座っていた。背中を沈ませ、片肘をついて宙を見つめている。兄貴、とまだ涙のにじむ声をあげたペッシに、先に行ってろと指示して、プロシュートはソファに歩み寄った。
「リゾット」
 首をひねってリゾットが、振り向いてくる。いつもの表情に見えた。ソルベやジェラートの死体を葬った時、地面に掘った暗く深い穴、あれに似た眼差し。
「イルーゾォはもう出発した。俺らも行く」
「ああ」
 電話は、とリゾットが言うのでプロシュートはスーツのポケットを軽く叩いた。
「奴らの足どりをつかんだら、連絡をいれる。メローネはバイクで待機させといてくれ。ギアッチョはどうせ車を出すつもりだろ?」
「そう言っていた。俺も今日中にここを出る。もうここには戻ってくるなよ」
 プロシュートはロフト構造になっている2階フロアを見上げた。そこにはそれぞれに与えられた私室がある。共用のリビングダイニングとちがって、完全にそれぞれの趣味で彩られたその部屋の中は、個人の私物であふれ返っている。もちろんプロシュートの部屋もだ。
 なにひとつ片付けはできていない。だが突然の引っ越しや事務所替えなど当然のことで今まで何度もあったし、絶対に失くしたくないものなんて暗殺者には不必要だ。
「おまえが前にイイっつってたレザーのジャケット、あれ着ていってもいいぜ」
 目線をリゾットに戻すと、その口元がふっと笑った。今日初めて見る笑みだ。そして今日最後に見る笑みになるだろう。
「馬鹿言うな。あんな一張羅、もったいなくて着れねぇ。それに俺じゃあサイズが合わないだろう。気持ちだけありがたく受け取っておくよ」
 リゾットがまっすぐにプロシュートを見る。死者を弔う穴に似た、リゾットらしい真摯さで。
「グラッツェ、プロシュート」
 プロシュートはまっすぐにリゾットを見返す。多くの者が、この男のそばを横切って去っていった。ついさっき、ホルマジオも通り過ぎていった。いつもの、斜にかまえた笑みを浮かべ、軽薄な足どりで、しょうがねぇなぁと呟きながら。死者の列は、リゾットが若い頃に失った幼い命にまでさかのぼる。家族、仲間、同僚、敵、無関係の一般人。多くの死者が、列をなしてリゾットのそばを通り過ぎていく。
「あとはたのんだぜ」
 プロシュートはリゾットとの付き合いが、ホルマジオの次に長い。だがこんな言葉をこの男に向かって吐くのは初めてだった。自分でも驚いた。リゾットも驚いている。
「めずらしいな。おまえほどの者が、俺に何をたのむって?」
「…ホルマジオを」
 埋葬に付き合ってやりたいが、時間はない。ひとりでは穴を掘るのも大変だろう。メローネとギアッチョを手伝わせればいいが、どっちにしろ三人とも穴を掘るのに適したスタンドじゃない。ソルベとジェラートの時は、グレイトフルデッドで地面をえぐった。これほど弔いに向いたスタンドの名前もないと、メローネが言っていた。
「じゃあな」
「ああ」
 軽く手をあげて、プロシュートはリゾットに背を向けた。親しい者同士ならごく自然にする挨拶のハグやキスも、そこにはない。別れを意味するからだ。ギアッチョなんかは絶対にやらねえと忌み嫌っている。プロシュートも、このチームではメローネとしかしたことがない。だから必要ない。
 部屋を出ながら、そういえば、とプロシュートは思い返した。ホルマジオとは一度交わしたことがある。初めてプロシュートがこのチームに来た時だ。よそよそしいというより、まるで他人に興味なんかないといった他の面子とちがい、ホルマジオは片頬を上げて笑いかけ、両手を広げ、プロシュートを迎えた。ようこそ、俺らのチームへ。歓迎するぜ。そうしてごく自然と挨拶のキスを寄越した。
「これが最初で最後だ。さよならの挨拶は一回きり、でも最初にやっておけば、いつまでも別れはこねえし、逆にいつ別れがきたって、平気だろ?」

見知らぬ国 all


 ホワイトアルバムを解除しながら扉を開けて出てきたギアッチョはため息を放った。
「ありゃあ完璧に『風邪』だ」
「……『風邪』だと?」
 ダイニングテーブルに腰かけていたプロシュートが、ことさらゆっくり言葉を返した。それだけで、フロアの空気がピンと張る。誰もが、次にプロシュートが発する声に全神経を傾けた。
「イルーゾォ!今すぐリゾットの部屋の鏡に潜んどけ!ペッシ、おめーの『ビーチボーイ』でリゾットの野郎を釣り上げて壁にでもブチ当たらせろ!イルーゾォは奴の血液を採取!メローネ、『ベイビィフェイス』を待機させとけ!」
「おいおいおいおい待て待て待てェェェッ!!!??」
 ギアッチョの制止むなしくすでに指示を出された全員が動きだしている。唯一この場にいないホルマジオならギアッチョの味方についてくれたかもしれないが、残念ながら薬局へ買い出し中だ。
「風邪だっつってんだろォーがッ!?なんだその対応はよォ!?」
「ギアッチョ、落ち着け」
「そりゃこっちのセリフだクソがァーッ!!」
 メローネの言葉にいっそうブチギレたギアッチョが思いきり蹴りあげたマガジンラックは見事にペッシに命中した。ヒィッと悲鳴をあげペッシは発動しかけたスタンドを手放してしまう。
「おいペッシよォ…スタンドは敵に喰らいついても絶対に解除するんじゃねえってなんべん言ったらわかるんだこのマンモーニッ!!」
「ひいいいッ!!ご、ごめんよォ兄貴ィイイ!蹴らないでくれよォォ」
「だからなんで『ビーチボーイ』でリゾット釣ろうとしてやがんだテメーら話を聞けエエエエッ!!!」
 すっ転んだペッシを足蹴にしていたプロシュートが、ようやくギアッチョの方を向いた。ごく真面目な顔つきで。
「なにを騒いでやがるんだてめえは」
「おまえそのッ、俺が頭おかしいみたいな言い方はやめろ!!なんでリゾットが風邪だっつったらそんな、血液採取しておまけにメローネの野郎の変態スタンドまで出てくんだよ!おかしいだろォーが!」
「変態は余計だろー変態はぁ」
「馬鹿かおまえ。あのリゾットだぜ?あいつが風邪菌なんぞにやられるわけがねぇだろーが。新手のスタンド攻撃に決まってる。あるいは本当に風邪だとしたら、あの野郎がぶっ倒れるぐらいだ、全人類が滅亡の危機に陥る未知のウイルスと思うべきだろ」
「ボケか?それはボケなのか?ツッコミ待ちなのか!?」
「さすが兄貴ッ!非の打ちどころのない判断力ですねッ!」
「風邪菌は許可しないぞ」
 ギアッチョは頭を抱えた。なぜチーム内で唯一良識があるといえるホルマジオに薬局への買い出しを頼んでしまったのかと。しかし他の連中にたのんだところで、ろくな薬を買ってきそうにない。やはり人選はまちがえてなかったはずだ。だとしたら今のこの状況は必然か。運命か。
「クソッ、これもそれも考えたらリゾットのヤローが風邪なんか引くから悪ぃんじゃねーか…あいつが風邪なんか引かなけりゃ、この俺がわざわざ『ホワイトアルバム』で氷のう作ってやったり、コイツらがわけわかんねーこと言い出したりもしなかったはずじゃねーかよォ…ナメやがってチクショォーイラつくぜッ!クソクソクソッ!!!」
「やべェーギアッチョがキレたッ!」
「おいイルーゾォ、俺も鏡の中に避難させてくれよ」
「来んな変態!」
「ゲッ、兄貴、ギアッチョのヤツ本気ですぜい!」
「うるせェッ!!てめーら静かにしやがれ病人が寝てんだろーがァ!!!」


 下のフロアが破壊つくされようとする頃、上のフロアの一室では男がひとり、ベッドに倒れ伏して荒い息をくり返していた。
(最近ヒマだからって力持て余してるなアイツら…いっそこの建物ごと倒壊しちまえば奴らもちょっとは静かに…ダメだ今はまともな思考が働かねぇ…)
 リゾットはれっきとした風邪だった。昨日から妙に鼻炎ぽかったが、花粉かなんかだろうと油断していた。今日になって扁桃腺がパンパンに腫れ、せきにくしゃみのオンパレード、ついでに微熱もある。誰がどうみても立派な風邪だった。
「はぁー……」
 熱い息を吐いて寝返りをうつ。熱のせいで汗をかいて気持ち悪い。風呂に入りたいがそんな体力もない。せめて思いっきり寝たいわけだが、階下からは絶えず騒音が響いてくる有り様だ。騒音で済んでるうちはまだいい。そのうち本当に建物自体が破壊されかねない。
「いやー下はえらい騒ぎだぜ。よぉリーダー、生きてるかぁ?」
 ささやかな声に顔を上げると、窓枠に猫がのっている。やわらかそうな毛並みから、人さし指ぐらいのホルマジオがひょいと現れた。
「どうも階段使っては無事にここに辿り着けそうになかったんでな、いろいろ救援物資もってきてやりたかったんだがよぉ、悪ぃな。とりあえず薬」
「ああ…」
「下の様子、どんなか聞きたいか?」
「あとにしてくれ…余計熱があがりそうだ」
「ちがいねぇなぁ」
 だははっとホルマジオは気楽な声で笑うが、本来ならリゾットの次に古参のホルマジオが連中の騒ぎを止めるべきところだ。言ったところで本人は「俺があいつらにかなうとでも思うのかよ」とやはり気楽に笑うので、言うだけ無駄である。
「ま、あいつらはあいつらで、おめーの心配してんだと思うぜぇ?建物だとか経費だとかの心配はしてねえだけで」
 余計な一言を残してホルマジオは猫の背中に乗ったまま去っていった。
 ベッドサイドに薬局で仕入れてきてくれた薬が何種類か置かれているが、どれがどの効き目でとかも考えられそうにない。リゾットは這いずるように薬の入った袋に手を伸ばし、手当りしだい錠剤をつかんで水で流し込んだ。扁桃腺が腫れてるせいで、ノドが締まってるような違和感があって、水さえも通りにくい。えずきながらなんとか飲み込んで、またベッドの中に潜り込んだ。階下からの騒音に負けず、とにかく寝るしかない。


「なぁ、風邪ってどんなかんじだ?」
 ソファの背に長い髪をなつかせてるメローネを、ギアッチョは新生物を発見したみたいな奇妙な顔をした。
「…まさかテメェ…風邪になったことねーのかよ」
「ないよ。だって風邪って明確に定義されてない病気だろ?そんな得体のしれない病気かかったことない」
「テメーは生涯、性病ぐらいにしかかかんねーんだろーよ。病原体のほうが嫌がるぜ」
 ブツブツ言いながらギアッチョはキッチンへ消えてしまった。遊ぶ相手をなくしたメローネは、一人がけのソファにだらしなく寝転がったまま首を巡らし、次の標的を定める。
「なぁペッシ、おまえは風邪になったことある?」
「えっ…」
 たまたまメローネの目の前を横切っただけのペッシは明らかに硬直した。実のところペッシはメローネが苦手だ。苦手というか、会話が円滑に行えたためしがない。
「えっと、風邪?たぶん、あると思うけど…」
「たぶん?あると?思う?なにそれ?おまえの体のことだろ?」
「あっあっ兄貴が!こないだ、引いてましたよねッ、風邪!」
 助けを求めて振り向くも、プロシュートは一瞬ペッシらの方を一瞥しただけで、声ひとつ返すことなくキッチンへと向かってしまった。まったく興味のかけらもなさそうである。
「兄貴ィイ〜!待ってくだせぇよォ〜ッ!!」
「おいマンモーニ、話は終わっちゃあいないぜ。プロシュートが風邪引いてたって?いつのこと?俺がスイスに出張行かされてた間?どんな風だった?期間は?症状は?処方された薬は?予後の様子は?」
 メローネに暇つぶしの標的としてロックオンされたらペッシごときじゃ逃げられない。いつもなら助け舟をだしてくれるホルマジオやギアッチョはこの場にいない。見かねたイルーゾォが、ペッシを鏡の中に逃げ込むのを許可するまで、質問攻めという名のメローネの攻撃は続く。


「氷枕か?」
 背後の気配には気付いていたがずっと無視していたギアッチョに、それでもプロシュートは臆することなく声を投げてくる。まぁ、この男が何かに臆したり、ひるんだりするところなんて、ギアッチョは出会ってこのかた見たことがない。
 流し台で洗面器を水洗いしていた手を止め、ギアッチョは一旦肩ごしに背後のプロシュートを睨みやった。睨んだところでプロシュートはいつものプロシュートのままそこにいる。腹立たしい。さっきの騒ぎはふざけてやったことだろうが、この男は自分の発言や言動の影響力のでかさを理解していないのだ。ギアッチョにはそれが腹立たしい。
「…熱が下がったら吐き気がするかもしんねーから、洗面器置いといてやろうと思ってよ。あと、ペットボトルに飲み水。熱ある時とか吐いたらノド渇くし、水分いっぱいとんねーと治りも悪いだろうからな」
「へえ」
 それ以上なにを言うでもなく、プロシュートはギアッチョの横に並んで、空のペットボトルにミネラルウォーターを入れだした。
「………」
「………」
 男二人、無言で台所に並ぶ姿は、はたから見れば妙に滑稽な図だ。


 体調が悪い時には、決まって故郷の夢を見る。濃いエメラルドグリーンの海岸線、丘に揺れるレモンやオレンジの鮮やかな実り。礼拝堂のモザイク壁画の前で、リゾットは膝をつき祈りを捧げている。大理石の合間からのぞくキリストは、感情のないまなざしを降り注いだ。まだリゾットが祈る言葉をもっていた頃の記憶だ。神や運命が無慈悲だと、リゾットはもう知っている。
 目を開けて、夕闇に染まった天井を見る。なぜここが故郷のクリーム色の壁で仕切られた自分の部屋じゃないんだろうと思って、数度まばたいた。そうだ、夢を見ていた。意識が幼い頃に戻っていた。今いるのはシチリアじゃない。イタリア本土のある街のある一室だ。
 ゆっくりと体を起こす。熱で汗をかいて服が湿っている。そばの鏡台にミネラルウォーターのボトルや小ぶりのオレンジが並んでいた。イルーゾォが鏡を通って持ってきれくれたのだろう。ボトルを一本手に取り、渇いた喉に流し込む。扁桃腺の違和感は、まだ抜けていない。
「…げほっ」
 吐いた息から熱っぽさはなかったので、微熱は下がったらしい。前髪をかき上げて額に手のひらをそわせると、指先の方がぬるく感じる。
 そのまま少しの間、目を閉じていると、扉の前に気配が立つ。開いた扉の隙間から、メローネが顔をのぞかせた。
「リゾット、起きてる?」
「ああ。…どうした」
 部屋の電気はつけないまま、メローネはベッドサイドまで歩み寄ってきた。手にした紙を差し出してくる。
「組織からの指令」
「……」
 受け取った書類に一通り目を走らせ、また無意識に息を吐く。ちょっとした動作でものすごく疲れるのは、ろくに物を食べていないせいだろう。薄い暗闇の中、ベッドの隅に腰をおろしたメローネを見る。
「今、誰がいる?」
「みんないるよ。あープロシュートとペッシが買い物に出てるけど」
「プロシュートが戻ったらこれを渡しておいてくれ。人選はまかせる」
「了解」
「あと、」
「ん?」
 書類を手に立ち上がりかけていたメローネが振り返る。
「みんなに伝えておいてくれ」
「…何を?」
「外から帰ったら、うがい、手洗い…」
「はいはい了解」
 一瞬神妙な顔になりかけたメローネだったが、リゾットの言葉に呆れたように笑って「早く良くなれよ、リーダー」と言い残し部屋を去った。それを見送って、リゾットはまたベッドに潜り込んだ。
 目を閉じるとやわらかい暗闇に沈む。体調が悪いと万事良くない。心も弱る。体内でメタリカたちのざわめきを聞く。帰ることのない場所を夢見る。

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